城名 多気城(別名:多気山城,御殿山城)
住所 〒321-0343
栃木県宇都宮市田下町ほか
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 宇都宮宗円(伝承)
築城年 康平6年(1063)
主な改修者
主な城主 宇都宮氏
位置 北緯36度36分18秒
東経139度48分14秒
地図 本丸
南側虎口
枡形
食違虎口
【歴史・沿革】
宇都宮城を本城としていた宇都宮氏が危急の際の詰めの城として築いたもので、多気山(標高377m)の全山を城域としていた。山城としては栃木県内では最大の規模を持つ。

この城は、中世の頃に、宇都宮城の支城として築かれたようである。その後、戦国時代末期の天正12年(1584)、北条氏直が下野国に進出して以降、宇都宮氏の領地はしばしば小田原北条氏の侵攻を受けるようになった。このため、宇都宮氏は常陸国の佐竹氏と同盟して、これに対抗したが、平城の宇都宮城では防衛が十分でないと判断され、多気山に要害を築いて、天正13年(1585)には、宇都宮城から多気城へと本城を移した。慶長2年(1597)、宇都宮氏は豊臣秀吉により改易処分となったが、これに伴い多気城は廃城となった。

城跡には、多気山の麓を半周していた長大な土塁や空堀の跡のほか、多気山の各所に曲輪、虎口、竪堀、櫓台などの跡が残っている。


【感想】
城に興味をもつ前、よく多気不動尊にお参りしその後山頂で遊んでいた場所であったため、こっこが城跡だと知ってようやく行くことが出来た。多気不動尊脇の登城口から上り本丸跡へ、そこから南面へと向かうが、この城址は残念だが本丸付近は整備されているのだが、その下は冬でも草木が多い、そして目印となる指標、説明板などはないので気が付かずに見過ごしてしまう遺構もあるので注意が必要です。



登城日 2014年12月30日(火)
LINK Wikipedia〜多気城〜
城主家紋 【右三つ巴】
(藤原氏道兼流)
宇都宮氏家紋

                      

  
探訪

※駐車場にある多気城復元想像図より
【駐車場にある説明板】 【多気山持宝院不動尊山門】 【多気山持宝院不動尊参道】
【多気山持宝院不動尊本堂】 【多気山持宝院不動尊脇の登城口】
ここから本丸まで徒歩で30分とあるが実際は15分程度です。
【登城道】
【登城道】 【本丸一段下の平場(腰曲輪)】 【本丸東側虎口】
【多気城址碑】 【本丸からの眺望】 【本丸からの眺望】
【本丸】
本丸は土塁により分割されている。
【本丸の土塁】 【本丸土塁裏の横堀】
【本丸北側した腰曲輪】 【本丸北側の堀切】 【櫓台跡】
多気山山頂部分は物見などをしていた櫓台だったようです。
【本丸西側】の崖 【本丸西側の眺望】
正面の山は古賀志山
【櫓台跡から伸びる土塁城の道】
【本丸南側下の曲輪】 【本丸南側下の曲輪にある祠】 【本丸南側虎口】
虎口内は桝形になっている。
【本丸南側枡形虎口内】 【食違い虎口】
枡形の本丸側出口は食違い虎口となっている。
【本丸南側枡形虎口部分の土塁】
【本丸南東側虎口】 【本丸南東側曲輪】 【本丸南東側曲輪】
【本丸南東側段曲輪】 【七曲がり】 【七曲がりの登城口】



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