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城名 | 滝の城(別名:本郷城) | ||
住所 | 〒359-0013 埼玉県所沢市城537ほか |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 埼玉県指定史跡 | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 不明 | |||
築城年 | 平安時代末期頃 | |||
主な改修者 | 北条氏 | |||
主な城主 | 大石氏、北条氏 | |||
位置 | 北緯35度48分1.14秒 東経139度31分55.43秒 |
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地図 | 1 | 本丸 | ||
2 | 二ノ丸 | |||
3 | 三ノ丸 | |||
4 | 馬出 | |||
5 | − | |||
【歴史・沿革】 滝の城は、狭山丘陵の一角が低地に向かって落ちる急な崖(河岸段丘)を利用し、東南方を流れる柳瀬川を防御線とした平山城で、その敷地は約六万六千平方メートルである。 現在でも本丸を中心とした遺構がよく保存されている。本丸は柳瀬川を眼下に見下ろす城の東南部に位置し、本丸の北面には、空堀を隔てて二ノ丸的な曲輪があり、城はこの方向にいくつかの曲輪を配したようで、部分的に遺構が残存している。また、大手は更に北方に所在していたと見られている。 この滝の城は、北条氏照の持ち城と考えられ、滝山城(永禄13年の戦いの後、八王子城に移る)の支城といわれている。 永禄7年(1564)の北条氏の清戸番衆交代命令状を見ても、清戸下宿に番所があって固めており、城の防備と密接な関係があったと推定される。 天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原城攻略の際、落城したものと考えられている。 【感想】 東所沢の駅を降り、東に向かうこと約20分で滝の城の看板が見えてきます。この所沢の地にここまで遺構がしっかりと残っているのは奇跡と言ってもよいでしょう。 説明板のあるすぐそばには二重堀があり、そこから先は見事な堀、堀、堀です。本丸の南方には柳瀬川が流れ、この場所が河岸段丘であるとひと目で分かることでしょう。城址の下にある滝の城址公園から見上げるとその急な崖の上にあることも容易にわかりますので下まで降りて見て欲しいです。 |
登城日 | 2015年01月10日(土) | ||
LINK | Wikipedia〜滝の城〜 | |||
城主家紋 | 【銀杏の二葉】 (清和源氏義仲流) 大石氏家紋 |
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【三つ鱗】 (伊勢平氏流) 北条氏家紋 |
※縄張図より |
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【滝の城入口】 | 【二重堀跡】 | 【二重堀跡】 左手が外堀、右手が中堀 |
【血の出る松跡】 現在は松は枯れてしまってありませんが、その昔、傷をつけると赤色の樹液が出される大きな黒松が立っていたそうです。その赤色から落城した際に討死した城兵の血ではないかという言伝えがあるそうです。 |
【血の出る松跡(道側より)】 | 【血の出る松跡と物見櫓跡】 |
【物見櫓跡】 | 【物見櫓跡碑】 | 【物見櫓後から見た中堀跡】 |
【中堀跡】 | 【土橋跡】 | 【土橋より見た右側中堀跡】 |
【土橋より見た左側中堀跡】 | 【中堀跡】 | 【中堀跡】 正面は本丸になる。 |
【二ノ丸跡に立つ城山神社社務所】 | 【掲示板】 ここにパンフレット、縄張図が置かれています。 |
【二ノ丸跡】 |
【二ノ丸土塁跡】 周囲は土塁で囲まれていたようです。 |
【本丸跡に建つ城山神社】 | 【本丸にある城址碑】 |
【本丸より見た南側眺望】 眼下に柳瀬川が流れている。 |
【本丸北側の櫓跡】 | 【本丸北側の櫓跡】 上部は意外に広く稲荷神社が建っている。 |
【本丸東側(城山神社裏)いある四脚門跡】 ここから馬出・三ノ丸へ通じる引橋が設けられていた。 |
【内堀跡】 二ノ丸と本丸の間の堀 |
【内堀跡】 |
【二ノ丸から三ノ丸へ向かう通路】 | 【本丸虎口】 ここに本丸からの引橋が渡されていた。正面が本丸の四脚門跡になる。 |
【馬出跡】 |
【大手方向の通路】 途中には門があった。 |
【三ノ丸跡】 | 【三ノ丸跡】 周囲は土塁で囲まれていたようです。 |
【三ノ丸跡の大井戸跡】 | 【三ノ丸跡より見た南側斜面】 | 【三ノ丸の土塁よりみた馬出跡】 |
【大手方向の門跡】 | 【中堀跡】 右側には物見櫓跡がある。 |
【大手側の物見櫓跡】 |
【大手側より見た三ノ丸・馬出方向】 | 【中堀跡】 | 【大手側の発掘現場】 |
【城址東側堀切(堀底道)】 | 【滝の城址公園より見た滝の城】 城址のほぼ真下から見ると急峻な崖になっていることがよく分かる。 |
【霧吹きの井戸跡】 石組みの井戸になっている。 |