城名 皆川城(別名:法螺貝城)
住所 〒328-0067
栃木県栃木市皆川城内町628
入場時間
入場料 無料
指定文化財
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 長沼(皆川)秀宗(諸説あり)
築城年 永享年間(1429〜1441)の初め頃(諸説あり)
主な改修者
主な城主 皆川氏
位置 北緯36度23分50秒
東経139度41分0秒
地図 本丸
二ノ丸(お花畑)
西ノ丸
竪堀
空堀
【歴史・沿革】
皆川城は『下野国誌』に「皆川四郎左衛門尉宗員はじめて築く。寛喜年間(1229〜1232)なり」とあるが、これは城山の南東麓の台地に築かれた居館跡(現在は皆川公民館)のことで、ここが皆川発祥の地になります。

今に残る皆川城が築かれた年代は諸説がある。
『皆川正中録』には、応永元年(1394)に皆川秀光によって築かれたとある。これに対して『栃木郷土史』は、応永元年説を否定し、秀光の名は「皆川系図」にはあるが、「長沼系図」には記されていないことなどをあげ、享栄年間(1429〜1441)の初めの頃、皆川秀宗によって築かれたと記している。
また、『日本城郭体系4』は「長沼惣家が14世紀初めに奥州に本拠を移し、再び下野に進出してくるのが応永年間(1394〜1428)の長沼義秀と孫憲秀の頃であり、ことに上杉禅秀の乱(1416年)後の進出が著しいこと、永享12年(1440)に長沼淡路守(秀宗)が既に皆川城を本拠地としていること」などにより、皆川城は15世紀前半の築城で、築城者は長沼秀宗の可能性が高い。

皆川城は、居館部(居住空間)と山城部(緊急避難的な空間)からなります。
居館部は城主の通常の住居であり、東西約140m×南北約100mの方形状をして、三方に土塁が有りました。居館部はちょうど皆川公民館(旧皆川中学校敷地)に当たります。山城部は階段上に帯曲輪や腰曲輪が配され、これらの曲輪を断ち割るように竪堀が設けられています。また、山頂一帯は、東に一ノ曲輪(山頂部 本丸)、中央に二ノ曲輪(通称、お花畑)、西に西ノ丸が設置されています。その姿から山城部は別名 法螺貝城ともよばれます。

ここ山頂部の一ノ曲輪は、2010年度に発掘調査を実施し、小規模建物が想定される柱穴群と曲輪縁辺部に幅2m程度の低い土塁を確認しており、「からけ」や「銭貨(永楽通宝・宣徳通宝・寛永通宝)」等が出土しています。
一方、皆川城の東方120mに「白山台の曲輪」さらに東方約200に「東宮神社の曲輪」があり、方形状の高まり堀跡や土塁跡が付属することから居館と推定される。

天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めに伴い、皆川城は包囲され、小田原方であった皆川広照はこの城を開城しました。その後、皆川氏の存続は認められ、新たに栃木城(栃木市城内町)を築き、その結果、皆川城は廃城となりました。
(説明板及び参考文献:「とちぎの古城を歩く」)

【感想】
昔は公園化されいろいろなものが設置されていたようですが現在は、城址としてよく整備されおり、城の構造がよくわかります。
南側から見ると帯曲輪や腰曲輪が数多くあることに驚きで法螺貝城と呼ばれることに納得です。そして竪堀によりそれらが分断されています。しかし凄いのは南側だけではありません。北側の造りも素晴らしいです。


登城日 2015年03月7日(土)
LINK  Wikipedia〜皆川城〜
城主家紋 【二つ巴】
(秀郷流藤原氏)
皆川氏家紋

                      

  
探訪

※本丸説明板の「皆川城址縄張図」より

※公園案内図の「皆川城復元模型」(栃木県立博物館蔵)より
【皆川城全景】
皆川氏菩提寺「金剛寺」付近より。
【居館跡】
現在は公民館になっている。
【居館跡】
【居館跡西側土塁】 【居館跡西側土塁】 【居館跡西側土塁上】
【居館跡西側外掘跡】 【居館跡西側外堀跡】 【居館跡西側外堀】
【麓より見た本丸】 【竪堀】
途中に折れのある竪堀
【帯曲輪間の横堀】
【竪堀の上部】 【竪堀西側の帯曲輪】 【竪堀東側の腰曲輪】
【竪堀】
上から見ると途中に折れがあるのがよく分かる
【帯曲輪】 【西ノ丸下】
【西ノ丸下の枡形虎口跡】 【西ノ丸の切岸】 【西ノ丸南側虎口】
【西ノ丸】
ここには物見台でも置かれていたと思われる。
【西ノ丸北側下】
南側とは異なり急峻な崖となっている。
【西ノ丸北側虎口】
【二ノ丸北側】 【二ノ丸(花畑)跡】
皆川城で一番広い曲輪になる。
【二ノ丸北側下】
急峻な切岸で腰曲輪と土塁が見える
【二ノ丸南側下】
下の帯曲輪には井戸や池がある。
【池】 【井戸跡】
【二ノ丸南側したの帯曲輪】 【二ノ丸北側下】 【本丸の切岸】
【本丸北側下】 【本丸跡】
中央には展望台が建てられており、ここからの眺望は絶景です。
【皆川城址碑】
【本丸展望台からの眺望】
関東平野を一望することができる。
【本丸より見た居館跡】 【本丸下東側】
【本丸下東側】
こちらも段々と帯曲輪や腰曲輪が配置されているのがよく分かる。
【本丸下東側】 【本丸下南側の帯曲輪】
【本丸下南側の帯曲輪】 【城址南側麓の横堀】 【城址南側麓の横堀と土塁】
【城址南側麓の横堀の土橋】 【城址南側麓の横堀】 【城址南側麓の横堀】
【城址南側麓の横堀】 【城址南側麓の竪堀】 【城址南側麓の竪堀】
【城址南側麓の竪堀と土塁】 【金剛寺の皆川家歴代祖廟】 【皆川広照墓】



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