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城名 大垣城(別名:巨鹿城、麋城)
住所 〒503-0887
岐阜県大垣市郭町2丁目52
入場時間 午前9時〜午後5時(入場は午後4時30分まで)
休城日:火曜日、祝日の翌日、12月29日〜1月3日
入場料 大人400円、小・中学生100円
団体20名以上 大人320円、小・中学生80円
指定文化財
城郭構造 連郭輪郭複合式 平城
天守構造 望楼型(1594年築)
複合式層塔型3重4階(1620年改)
(鉄筋コンクリート造外観復元・1959年再)
築城主 竹腰尚綱 別説:宮川安定
築城年 明応9年(1500年) 別説:天文4年(1535年)
主な改修者 氏家直元、伊藤祐盛
主な城主 竹腰氏、氏家氏、伊藤氏、岡部氏、松平氏、戸田氏
位置 北緯35度21分43.12秒
東経136度36分57.86秒
地図 乾隅櫓
艮隅櫓
西門
旧柳口門
戸田氏鉄公騎馬像
【概要】
大垣城は、明応9年(1500年)竹腰尚綱が築城した(天文4年(1535年)宮川安定が築城したとも伝えられる)といい、水門川の流れを外堀に利用して、天守閣は慶長元年、伊藤祐盛によって造営され、元和6年に改築されたという。この天守閣は、四重四階建て総塗りごめ様式で、たいへん優美な城として名高く、歴史のうえからも重要な役割を果たしてきた。昭和11年には国宝に指定され、郷土博物館として親しまれてきたが、昭和20年7月29日戦災でおしくも焼失した。その後、大垣城再建の気運が高まり、昭和34年、現在の天守閣が完成した。

【関ヶ原の合戦と大垣城】
慶長5年(1600年)石田三成ら豊臣方の西軍は、徳川家康を討つため美濃の国に入った。時の大垣城主、伊藤盛宗は豊臣家の家臣で、西軍に属していた。そこで三成は、大垣城に入城して西軍の本拠とし、付近の村や西方の南宮山にかけ諸将に陣を張らせ、全軍の集まるのを待った。ところが、東軍の進出があまりにも早く、美濃の諸城を攻略して、大垣城から見下ろす西北の赤坂岡山を中心に布陣したため、西軍の動揺は大きかった。9月14日三成の謀将、島左近(勝猛)はこれを救うため、一計を案じて東軍を誘い、南一色の地に予め兵を伏兵と呼応し笠縫、笠木で勝利を得た。これ杭瀬川の戦いという。そのため、一時は西軍の士気が上がったが、東軍徳川家康の作戦におびき出され、遂に、大垣城は福原長堯ら兵七千千五百人を残して、関ヶ原へ移動し、翌15日は両軍が関ヶ原の原野で一大決戦となった。これが名高い関ヶ原合戦である。関ヶ原本戦後も大垣城の攻防戦が続き城内に裏切りが出たため、遂に23日に落城した。東軍に囲まれた西軍はよく戦い、「七騎多門」や「おあむ物語」が伝わっている。

【感想】
一度目に訪れたときは天守の周辺が瓦の落下に注意ということでほとんど立入ができなかったが、二度目はすっかり修復され見て回ることができた。といっても現存遺構ではないので物足りなさはある。
やはり焼失前の国宝だったころの天守を見てみたいと思ってしまう。
しかし、この天守から関ケ原方面を見ると石田三成の気持ちになれるかもしれない。



 

登城日 一度目:2008年9月13日(土)
二度目:2013年5月1日(水)
LINK 大垣市ホームページ
大垣城-Wikipedia
城主家紋 【梅鉢】
(佐々木氏流大原氏族)
竹腰家家紋
【巴】
(藤原北家宇都宮氏流)
氏家家家紋
【九曜】
(北家藤原氏流)
戸田家家紋

                      

探訪

※城内表示より 注:城郭図には多門と記してあるが門と混同するので下記では多聞とする。
【東門】
旧柳口門を移設したもの、本丸城郭図では大小姓多聞付近になる。本来はここに門はなかったようです。 
【丑寅(艮)櫓と先手武具多聞】
東門の北側(本丸北東)にある。
【天守閣】
本丸北側より。
【戌亥(乾)櫓と同南附多聞】
本丸北西にある。 
【水之手門跡】 【水之手門跡】
【戌亥(乾)櫓】 【戸田氏鉄公騎馬像】
戸田城主初代の銅像
【西門】
ここも本来は門はない場所である。ここには籏長柄多聞のあった場所である。。
【本丸跡より天守閣、乾隅櫓】
本丸跡は公園になっていてそこからみると大垣城が良く見ることができます。
【天守と南附多聞、東附多聞】 【東附多聞】
天守入口となる。
【天守から関ヶ原方面】
石田三成ら西軍がが、大垣城を本拠地とした。結局、東軍におびき出された格好で戦場は関ヶ原に移っていきます
【辰巳(巽)櫓跡】
東南側の櫓。
【東埋門】跡】
【鉄門跡】
なんとなくあったんだろうなって感じはする
【鉄門前の本丸堀跡】
すっかり埋め立てられており想像するしかない。
【本丸堀跡】
丑寅櫓下から東門方向を見る。
【外堀】
大垣城の外堀の役割を果たしている水門川。上のMAPの縮尺を落して地図にすると水門川を引き込んで外堀とした様子が見て取れる。それにより大垣城の規模も把握することができる。




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