城名 岐阜本城(旧名:稲葉山城)
住所 〒500-0000
岐阜県岐阜市金華山天守閣18
入場時間 3月16日〜5月11日 9:30〜17:30
(金華山ロープウェーは、9:00〜18:00)
5月12日〜10月16日 8:30〜17:30
(金華山ロープウェーは、8:00〜18:00)
10月17日〜3月15日 9:30〜16:30
(金華山ロープウェーは、9:00〜17:00)
※1月1日のみ6:30〜16:30
(金華山ロープウェーは、5:00〜17:00)
入場料 天守閣に入る際に必要です。
大人(16歳以上)200円
小人(4歳以上16歳未満)100円

金華山ロープウェイ
大人(12歳以上)片道630円、往復1,100円
小人(4歳以上12歳未満)片道300円、往復550円
指定文化財 国指定史跡(2010.11.19付)
城郭構造 山城
天守構造 不明・非現存
独立式望楼型3重4階(鉄筋コンクリート造り復興・1956年再)
築城主 二階堂行政
築城年 建仁元年(1201年)
主な改修者 織田信長
主な城主 斎藤氏、織田氏
位置 北緯35度26分2.66秒
東経136度46分55.97秒
【概要】
金華山山頂に最初に砦が築かれたのは建仁年間(1201〜1204年)、鎌倉幕府執事の二階堂行政によるといわれています。その後、美濃の守護土岐氏の筆頭家臣斎藤氏が居城とするものの、下克上により斎藤道三の手に。1567年には道三の孫である龍興を倒した織田信長が岐阜城を手に入れ、この地方一帯を平定。名をそれまでの稲葉山城から岐阜城へ改名し、後に安土城が建設されるまでの10年ほどの間、天下統一の拠点となりました。

しかし1600年、関ヶ原の合戦の前哨戦で、信長の孫、秀信が西軍に味方したため東軍に攻め入られ落城。翌年岐阜城は廃城となり天守閣、櫓などは加納城に移されました。移築されていたが、享保13年(1728)の落雷によって焼失している。

現在の城は昭和31年に鉄筋コンクリート造り、3層4階建てとして復興されました。平成9年には大改修を行い、岐阜市のシンボルとなっています。

3階までは史料展示室に、4階の楼上は展望台になっており、清流・長良川、遠く連なる伊吹の山並など壮大な自然が一望でき、夏の夜間営業では、オーロラに例えられるパノラマ夜景も楽しめます。また、岐阜城のすぐ東にある「岐阜城資料館」は昔の武器庫、食料庫を復元したもので、岐阜城に関連する資料を多数展示しています。


【感想】
生まれて初めて行ったお城がこの岐阜城でした。うっすらと覚えているのはリス園ですが、天守に登ったのは覚えていました。改めて登るとよくこんな場所にお城を築いたなと感心するばかり。ただこの城はあまりにもいろいろな人が出入りしていたため構造が露見しすぎていたこともあり5回も落城しています。やはりお城の構造は知られないということがいかに重要かがわかりますね。
100名城
スタンプ
登城日 一回目:2008年9月13日(土)
二回目:2019年11月17日(日)
LINK 岐阜市公式HP 歴史めぐり
岐阜城金華山岐阜公園ガイド
織田信長公居館跡発掘調査
岐阜城-Wikipedia
城主家紋 【二頭波】
藤原氏利仁流
斉藤家家紋
【織田木瓜】
織田家家紋

                      

探訪
【岐阜公園前バス停近くより】
カメラの最大望遠といっても光学7.1倍で天守閣がこの大きさ。これだけでも金華山の高さがうかがえますね。
【金華山の麓−信長居館跡冠木門】
金華山麓の信長居館に導かれたフロイスは、巨大な石垣や「劇場のごとき大なる家屋」に驚愕(きょうがく)し、「クレタ(ギリシャのクレタ島に栄えた古代文明。クノッソス宮殿や多彩の陶器類で有名)の迷宮」のような複雑な構造に驚いています。
 居館は四階建てで、一階が舞台のような大広間、二階は家族の居室があり、美しい襖でいくつかの小部屋に仕切られていました。三階は閑静な茶室、四階からは岐阜町が展望できました。庭には白砂で敷きつめられた池があり、中には美しい魚が泳いでおり、池の中の小島には四季の花がいっぱいに咲いていた。と克明に記しています。
【信長居館跡冠木門の信長像前】
信長がまだうつけと言われていたころの像でしょうか、顔が幼いです。
【信長居館跡碑】 【信長居館跡-発掘現場T】
この日は発掘自体がされていなかったので様子が見れなくて残念でした。
【信長居館跡-発掘現場U】
【岐阜城-冠木門(天下第一の門)】
ロープウェイを登って天守に向かうとまずこの門にたどり着きます。
【岐阜城-二の丸門跡】
関ヶ原の前哨戦となった慶長5年(1600年)の岐阜城攻略戦でこの二の丸門で激戦が繰り広げられた。
【塀越しの天守】
【隅櫓】
現在は歴史資料館になっています。ここに100名城スタンプがあります。
【岐阜城の井戸-金銘水】
金華山は、かつて「一石山」と呼ばれたように全山が1つの岩塊で成り立っている。山上に天守閣をはじめ多くの櫓や蔵と郭を備え、番兵を配した要害堅固な岐阜城であったが、籠城に備えた飲み水の確保は非常に困難であった。
湧水は一滴もないため雨水と岩の間から僅かにしみでてくる水を溜める井戸を岩塊に掘削している。二の丸を挟んで西側に3ヶ所、東側に1ヶ所の井戸がある。
【天守】
【天守入口】
ここで入場料を払ってくださいね。 
【天守最上階からの眺望】
眼下には長良川が見えます。
【本丸井戸】
【御手洗池】
関ヶ原の前哨戦において福島正則、池田輝政らに攻められ落城した。
その折に城を抜け出した大勢の奥女中が当時長良川の淵だったこの池に投身自殺したといわれています。
探訪(二回目)
【信長公居館跡】 【信長公居館跡】 【信長公居館跡】
【信長公居館跡】 【信長公居館跡】 【信長公居館跡】
【信長公居館跡】 【信長公居館跡】 【信長公居館跡】
【切通し(堀切)】 【石垣】 【天守と城道】
【天守と城道の石垣】 【天守越しの夕陽】 【山上からの眺望】
【山上からの眺望】 【道三期の石垣】 【裏門跡】
【裏門跡・信長期の巨石列】 【本丸城道下の石垣】




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