powered by 地図Z
 
城名 犬山城(別名:白帝城)
住所 〒484-0082
愛知県犬山市犬山字北古券65-2
入場時間 午前9時〜午後5時
(入場は午後4時30分まで)
休城日:12月29日〜12月31日
入場料 本丸、天守閣に入る際に必要です。
大人500円 小・中学生100円
指定文化財 国宝:天守
城郭構造 平山城
天守構造 複合式望楼型 3層4階地下2階 木造(現存)
築城主 織田信康
築城年 天文6年(1537年)
主な改修者
主な城主 織田氏、小笠原氏、成瀬氏
位置 北緯35度23分17.96秒
東経136度56分21.34秒
地図 矢来門跡
黒門跡
岩坂門跡
本丸門
七曲門(見晴門)跡
100名城
スタンプ

【沿革】
犬山城は、天文6年(1537年)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。戦国時代なので、その後も城主が代わりましたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。

小牧長久手合戦(1584年)の際には、豊臣秀吉は大阪から12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が元和3年(1617)城主となってからは、成瀬家が代々受け継いで明治になりました。

明治4年(1871)9代目の成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されてしまいました。

明治24年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、ひどく壊れました。それを修復する条件で成瀬家所有の城となりました。その後、伊勢湾台風でも被害を受けましたので昭和36年から昭和40年(1965)まで4年間かけて解体州修理がおこなわれました。

昭和10年(1935)国宝に、昭和27年規制改正にともなって改めて国宝に指定されました。
国宝の犬山城、彦根城、姫路城、松本城の四城のなかでも、最も古い城であります。
平成16年4月、財団法人「犬山城白帝文庫」が設立され。城の所有者は個人から財団法人になりました。

【感想】
現存で一番古いとされている天守は小ぶりですが初期望楼型が見られて感動します。
この天守は、本丸から見るよりもやはり木曽川対岸から見る姿が優美です。是非対岸からこの天守を見てほしいです。

スタンプ
設置場所
城郭内休憩所
登城日 2008年9月13日(土)
LINK 財団法人 犬山城白帝文庫
犬山観光情報
犬山城-Wikipedia
城主家紋 【織田木瓜】
織田家家紋
【丸に方喰】
成瀬家家紋

                      

探訪
【三光稲荷神社】
この境内が近道になっています。きちんとした登城口使ってもあまり変わりませんけどw
【矢来門跡】
門の礎石の一部が残っています。 
【黒門跡】
ここも礎石の一部が残っています。
【登城道】
天守のある本丸へ向かう道。
【岩坂門跡】
登城道の最後の坂を登りつめたところに岩坂門があったそうです。
【本丸門(鉄門)】
ここが本丸の入り口になり、ここで入場料を支払ってください。
【本丸より天守閣】
本丸でお茶を楽しむことができます。
【入閣口】 【1階上段の間と武者隠しの間】
1階は城主の居間とされ、床が高く畳が敷き詰められ、床・違い棚が設けられた書院造りの間です。これは、江戸時代(文化年間)の改造と考えられています。その北は、万一を警護する武士の詰所となっており、東は、納戸の間が配されています。それらをとりまいて武者走りの板の間があります。
【3階に登る階段】
2階は武者の間
中央が武具の間で、西北東の三方に武具棚が備えられています。
3階は破風の間
唐破風は、元和〜貞享の七十余年の間に、成瀬氏により増築されたといわれます。
南北に唐破風、東西に千鳥羽破風が設けられています。

【天守最上階より桃形の瓦】
最上階の4階は高欄の間
回廊は、成瀬氏による増築とされ、高欄と廻縁がまわる望楼となっています。
【天守閣からの眺望T】
眼下に見えるのは木曽川です。
【天守閣からの眺望U】
本丸の全景。
【付櫓】
この位置は東南の隅の突出部にあたり攻撃守備用として造られたといいます。突出部は下段に三ヶ所の連子窓がありそれぞれ遠くまで見渡すことができます。広さは8畳余。
【七曲門(見晴門)跡】
【七曲門(見晴門)跡の石垣】 【木曽川対岸よりT】
こちら側からの眺めが見たくてほぼ一周しちゃいました。
【木曽川対岸よりU】




Back



inserted by FC2 system