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城名 | 福井城(別名:北ノ庄城) | ||
住所 | 〒910-0005 福井県福井市大手3丁目 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 輪郭式平城 | |||
天守構造 | 望楼型4重6階(1601年・非現存) | |||
築城主 | 結城秀康 | |||
築城年 | 1601年 | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 結城氏のちに松平氏(越前) | |||
位置 | 北緯36度3分55.64秒 東経136度13分15.24秒 |
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地図 | 1 | 瓦御門跡跡 | ||
2 | 結城秀康像 | |||
3 | 福の井 | |||
4 | 山里口御門跡(埋御門) | |||
5 | 廊下橋 | |||
【概要】 福井城は柴田勝家が築城した北の庄城がその前身であるが、この2つの城の関係については、北の庄城を改築した物が福井城であるという説と、北の庄城の跡地に福井城が新たに築城されたという説の二通りの説があるという、現状では北の庄城の調査がほとんど進んでおらずどちらの説とも肯定、否定する事が出来ていない状態である。 慶長五年(1600)関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は、次男結城秀康を北陸前田家に対する押さえとして、越前68万石をもって下総結城から北の庄に移す。 秀康は翌慶長六年(1601)より築城を始め、全国諸大名の御手伝普請のもと約六年の歳月をかけ北の庄城(福井城)を完成させる。 また秀康は、慶長九年(1604)には松平氏を名乗る事を許されており、2km四方に及ぶこの城は名実共に御家門の居城にふさわしいような全国屈指の規模をもつ巨城であった。 完成時の名前は北の庄城であった。 二度にわたる養子縁組で羽柴家、結城家と渡り歩いた秀康は、秀吉没後に徳川家に戻るが、嫡子とは扱われず家康の後継者は弟の秀忠となる。 そして秀康は、慶長十二年(1607)北の庄城で失意のうちに34歳で病没する、この時長男忠直は13歳であった。 慶長十八年(1613)二代藩主忠直の時代に重臣が真っ二つに分かれて争う越前騒動が起こる、若年の忠直に騒動を収める力はなく、幕府の裁定を仰ぐ事となり、その事で越前家の権威は大きく失墜する。 その後の大阪夏の陣では豊臣方の将、真田信繁(幸村)らの首を取り、大阪城へ先陣をきって攻め入るなどの功をあげながらも、この功績に対して領地の加増もなく、官位も低いままであった。 これに不満を持ったとされる忠直は江戸への参勤を病を理由に途中で引き返し行わないなど問題行動を起こしたり、正室の勝姫(二代将軍秀忠の娘)を殺害しようとしたり、家臣の家に軍勢を差し向けて討つなどの乱行が目立ち始め、元和九年(1623)将軍秀忠に隠居を命じられる。その後、忠直は出家して一伯と名乗り、豊後国府内藩に配流となる。 忠直改易後は弟(秀康の次男)忠昌は越後高田より55万石を領し越前松平家三代目藩主となる。 忠昌によって城の名前は、北の庄城から福居城、さらに福井城と改名されたといわれている。 越前松平家は、7代目吉品の時代に半知の25万石となるが、その後、17代続いて明治を迎える事となる。 −北ノ庄城と分けて記載− |
続 日本100名城 スタンプ |
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スタンプ 設置場所 |
平日:福井県庁舎一階受付 休日:福井県庁舎一階守衛所 |
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登城日 | 一回目:2008年9月28日(日) 二回目:2018年9月23日(日) |
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LINK | 福井城-Wikipedia | |||
城主家紋 | 【三つ巴】 (藤原氏秀郷流) 結城家家紋 |
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庭園 |
【御本城橋】 本丸の大手口 |
【巽櫓跡】 | 【廃城前の巽櫓】 |
【雁木】 勾配がきついです。 |
【瓦御門跡】 | 【瓦御門】 左の写真の場所。 |
【結城秀康公像】 どう見ても兵馬俑を彷彿させる形状ですよねw それもそのはず作者の方が中国の方でした。 |
【天守跡】 天守台 |
【福の井】 福井の名前の由来の井戸で築城以前からあったと言われる名井である。 |
【福の井】 いまも水を豊かに湛えていました。 カメラと手が写っているのは御愛嬌ってことでw |
【控え天守台跡の石垣】 昭和23年(1948年)8月の福井震災による崩壊の跡を残しています。 |
【天守への虎口】 |
【天守跡】 北側には一部礎石が残っています。 |
【山里口御門跡】(埋御門) 西の山里曲輪と本丸を結ぶ門でした。連続した塀の下に作られたことから、埋御門と呼ばれることもありました。 枡形を形成していました。 |
【御廊下橋】 藩主が政庁である本丸と西三の丸御座所とを往復するための専用の橋でした。(平成20年3月復原) |
【御廊下橋】 | 【在りし日の御廊下橋】 | 【本丸西南】 |
【舎人門】 | 【舎人門】 | 【舎人門礎石】 |
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【舎人門】 | 【舎人門】 | − |
【雁木】 | 【散策路入口】 | 【本丸石垣】 |
【瓦御門跡から見た御本城橋】 | 【瓦御門跡】 | 【雁木】 |
【北不明御門石垣】 | 【北不明御門跡】 | 【北不明御門石垣】 |
【雁木】 | 【雁木】 | 【福井城址天守台跡案内図】 |
【石垣に残る塀の痕跡と刻印】 刻印は半分以上埋もれてしまっている。 |
【復元された福の井】 | 【復元された福の井】 水汲みの体験が出来ます。 ただこの井戸は既に涸れていて週一回水を持ってきて入れているそうです。 |
【天守台】 | 【天守台から見た控え天守台石垣】 | 【山里口】 |
【復元された山里口御門・櫓門】 | 【山里口御門内部】 | 【山里口御門ニノ門(櫓門)】 |
【山里口御門ニノ門(櫓門)】 | 【山里口御門一ノ門(棟門)】 | 【山里口御門土塀】 土塀外側には、腰下に笏谷石の板石を張り鉄砲狭間が設けられている。 |
【御廊下橋】 | 【御廊下橋】 | 【御廊下橋と山里口御門】 |
【御廊下橋と山里口御門】 | 【福井城址・山里口御門側】 | 【福井城址・瓦御門側】 |
【御廊下橋と山里口御門・夜】 | 【御廊下橋・夜】 |
【百間堀石垣】 |
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【桜木御門跡】 | 【桜木御門跡説明板】 | − |
ジャンル:ラーメン 店名:旬菜麺茶屋 五目亭 駅前店 住所:福井県福井市中央1-3-7 TEL:0776-25-5959 営業時間:11:00〜24:00(L.O.23:30) 定休日:年中無休 ラーメン屋に入ったのに、飲み物はって先に聞かれちゃったので最初っから日本酒を福井のお酒『黒龍』です。これ好きなのよね〜 それにつまみまで充実してるしここw ”黒龍”と”丸岡竹田の厚揚げ焼き”(写真左)これがすごく美味しいの噛むと甘みがあって、これがあったから黒龍2杯飲んじゃったんですけどね。 そしてメインの”五目ラーメン”(写真右)あんかけラーメンでアツアツです。面白いのがサツマイモチップスが入ってるんです。おいしかったですよ。 |