城名 浜松城(別名:曳馬城、引馬城、出世城)
住所 〒430-0946
静岡県浜松市中区元城町100-2
入場時間 午前8時30分〜午後4時30分
休館日:12月29〜31日
入場料 大人(高校生以上)200円
30人以上1割引、100人以上2割引
指定文化財 浜松市史跡
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 不明(鉄筋コンクリート造模擬・1958年)
築城主 飯尾乗連(飯尾賢連?)
築城年 永正年間(1504年 - 1520年)
主な改修者 徳川家康
主な城主 飯尾氏、松平氏、堀尾氏、井上氏、水野氏
位置 北緯34度42分42.39秒
東経137度43分29.67秒
100名城
スタンプ
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設置場所
天守門(櫓門2階入口右側)
【概要】
浜松城前身の曳馬城は、今川家臣飯尾氏の居城であった。 遠江への勢力拡大を図る家康は、永禄11年に曳馬城を攻略する。 翌12年家康は、遠江制圧すると曳馬城を改修して岡崎城からここに移った。
元亀3年、三方ヶ原で武田信玄に大敗した家康は、曳馬城も含めた大規模な築城を行ったのが浜松城である。
この浜松城は、家康が駿府城に移ってからは堀尾氏が入り、天守が築かれたといわれている。江戸に幕府が開かれてからは、代々の諸大名にこれを守らせ、浜松藩政約260年の間に再任を含めて25代の城主が在城した。
在城中に老中に5人、大阪城代に2人、京都所司代に2人、寺社奉行に4人(兼任を含む)が登用されており、なかでも水野忠邦は、天保の改革でよく知られている。
そのことから、浜松城が出世城ともいわれるようになった。
明治維新以後、城郭は壊され、すっかり荒廃していたが、昭和33年春浜松市民の努力が結実し、旧天守跡に新天守が再建され、昭和34年6月1日市の史跡に指定された。

【感想】
有名な城ではあるが、周囲が開発されすぎており、正直見所は石垣くらいであまりない。天守は模擬で天守台の大きさに合っていないため不格好。天守門が復元され天守曲輪の見栄えは良くなった。

登城日 一回目:2008年10月12日(日)
二回目:2015年10月31日(土)
三回目:2023年3月20日(月)
LINK 浜松城公園ホームページ
浜松城-Wikipedia
城主家紋 【ホに雁金】 
(漢族系錦宿禰改め三善朝臣後裔)
飯尾家家紋
【徳川葵】
徳川家家紋
【抱き茗荷】
(高階氏後裔)
堀尾家家紋

                      

【作左曲輪】 【天守台石垣】
家康築城の際の石垣
【銀名水(井戸)】
【天守】(摸擬) 【天守入口】 【天守台】
ここに昔は櫓でもあったのでしょうか?
【鎧兜】 【天守東側】 【天守南側】
【天守西側】 【天守北側】 【天守地階の井戸跡】
【家康公お手植えのみかん】
本物は駿府城にありますが、この木はその木から接木したものです。
【本丸より天守郭石垣】 【若き日の家康像】
本丸に設置されています。

【本丸で出くわしたリス】
こんなところでリスを見かけるなんて、驚きでした。
【本丸で出くわしたリス】
【本丸跡】
【鎧掛松】
三方ヶ原合戦から城に帰り大きな松の木で休んだ。そのときよろいを脱いでその松に掛けたことから鎧掛松と呼ばれている。これはその三代目、初代は浜松城内の堀の近くにあった。

【日本庭園から天守】 【日本庭園から天守】
 探訪〜2015年10月31日(土)〜
【天守門】
安土桃山時代(16世紀末)に建てられ、江戸時代に改修が繰り返された後、明治6年(1873)に取り壊されました。2009年度および2010年度の発掘調査で見つかった礎石や、19世紀の絵図などをもとに、平成26年(2014)3月に復元されました。
【天守門】 【天守のライトアップ】
探訪〜2023年3月20日(月)〜
【鎧掛松】 【本丸南側空堀跡】 【本丸跡】
【徳川家康公像】 【天守曲輪石垣】 【天守門】
【天守門】 【天守門の鏡石】 【天守】
天守台の大きさに合っていないのが残念
【天守曲輪】 【天守】 【天守】
【富士見櫓跡】 【富士見櫓跡】 【天守と天守門】
観光〜浜松城内日本庭園〜




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