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城名 駿府城(別名:府中城、静岡城)
住所 〒420-0855
静岡県静岡市葵区駿府公園1-1
入場時間 午前9時〜午後4時30分
休館日:月曜日(祝日、休日にあたる場合は営業)
    年始年末(12月29日〜1月3日)
入場料
大人200円、小人50円
団体30人以上 大人160円、小人40円

紅葉山庭園とのセット券
大人300円、小人80円
団体30人以上 大人240円、小人60円
指定文化財
城郭構造 輪郭式平城
天守構造 五重七階(非現存)
築城主 徳川家康
築城年 天正13年(1585)
主な改修者 徳川家康
主な城主

徳川氏、中村氏

位置 北緯34度58分45.96秒
東経138度23分0.9秒
地図 巽櫓
東御門枡形
天主跡
北御門橋
二の丸橋
100名城
スタンプ

【概要】
今から650年ほど前の室町時代に今川範国が駿河国の守護に任ぜられ、以後駿河国は今川氏の領土の一つになります。
今川氏全盛期9代義元の時代に、徳川家康(幼名:松平竹千代)は人質として19歳までの12年間、駿府で生活しています。後に戦国大名、そして天下人へと成長していく過程で臨済寺の住職太原雪斎などから種々の教えを受けており、家康の人間形成の上で非常に重要な時期を駿府で過ごしています。

戦国争乱の中、永禄11年(1568)10代氏真は甲斐の武田信玄に攻められて掛川に落ち、駿府の町は焼き払われます。さらに、天正10年(1582)には徳川家康が駿府の武田勢を攻め、再び戦火に遭った中世駿府の町は、ほぼ壊滅状態になりました。

駿府国を領国の一つとした徳川家康は、天正13年から居城として駿府城の築城を始め、天正17年に完成させます。現在の二の丸以内の部分です。しかし、家康は翌年関白豊臣秀吉の命によって関東に移封(国替え)され、豊臣系の家臣中村一氏が城主となります。

豊臣秀吉亡き後、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長8(1603)征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開きました。

慶長10将軍職を2代秀忠に譲った家康は、その翌年駿府を「大御所政治」の拠点の地と定めて再び戻ってきました。天正期の駿府城を拡張(三の丸)修築し、駿府の町割りや安倍川の治水事業に取りかかり、現在の静岡市の市街地の原型が造られたのです。

そして、家康自らは、晩年も「大御所」として天下の実権を掌握し、駿府は江戸を凌ぐ政治・経済・文化の中心としてその黄金時代を迎えたのでした。

スタンプ
設置場所
東御門券売所
登城日 2008年10月13日(月)
LINK 静岡駿府城
駿府城-Wikipedia
城主家紋 【徳川葵】
徳川家家紋
【立沢瀉】
(桓武平氏良文流 [異説多し] )
中村家家紋
その他 駿府城内にある庭園

                      

探訪
【二の丸橋】 【駿府公園再整備基本計画図と発掘調査状況】 【駿府城碑】
【御玄関前御門跡】
本丸御殿へ至るためのもっとも重要な門で、本丸の正面玄関ともいえます。
【東御門と巽櫓全景】
【本丸堀】
本丸堀は、駿府城の三重堀の一番内側の堀で本丸を囲んでいます。
【東御門(内側)-一之門】 【東御門(内側)-一之門】 【東御門(外側)-ニ之門】
【東御門枡形】 【東御門-ニ之門】 【東御門・巽櫓】
【東御門】 【二の丸堀】
【巽櫓】(二の丸堀越し)
駿府城二の丸の東南角に設けられた三層二重の隅櫓で、十二支であらわした巽(辰巳)の方角に位置することから「巽櫓」と呼ばれました。全国の城の櫓建築でも例の少ないL字型の平面を持ち、駿府城の櫓の中でも最も高く、”勝れた”櫓であったと言われています。
【巽櫓(二の丸より)】
こちらから見るとL字型になっていることがよくわかります
【駿府城天守閣模型】
消失する前の天守閣の模型。
【二の丸水路】
この水路は、本丸堀と二の丸堀をつなぐ水路で本丸堀からの水を外に出す目的で築かれています。】
【家康公お手植えのみかん】
家康が駿府城に隠居した際に紀州より送られた鉢植えのみかんを天守閣下の本丸に移植したものと伝えられています。
【本丸跡・徳川家康像】
この裏あたりが天守閣跡ですが天守台も破却され何もありません。

静岡おでん、御当地のB級グルメ。
だし汁は黒く、青のり、だし粉をかけて食べるのが特徴。
なかでもくろはんぺんが有名。

静岡おでん五箇条(静岡おでんの会が定義)
1.黒はんぺんが入っている。
2.黒いスープ(牛スジ)
3.串にさしてある。
4.青のり・だし粉をかける。
5.駄菓子屋にある。

駄菓子屋におでんがあるのは静岡独特らしいです。

写真はお土産用なので串には刺さっていませんが、おいしかったですよ〜




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