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城名 魚津城(別名:小津城)
住所 〒937-0866
富山県魚津市本町1丁目10-39
入場時間 小学校なので平日のみ、許可が必要
入場料
指定文化財 史跡
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 椎名孫八入道
築城年 建武2年(1335)
主な改修者
主な城主 河田長親、佐々成政、青山吉次
位置 北緯36度48分48秒
東経137度23分52秒
地図 城址碑
上杉謙信歌碑
【沿革】
伝承では、建武2年(1335)椎名孫八入道によって築城されたという。戦国時代に椎名氏が上杉氏を離反すると、上杉氏の手に落ちた。以後上杉氏の越中支配における重要拠点となり、河田長親が長く城代を務めた。
天正10年(1582)の魚津城の戦いで織田軍と上杉軍が凄まじい攻防戦が繰り広げた。 しかし、直後に本能寺の変の報が届いたため、織田軍は撤退し、すぐに上杉軍が奪回した。その後、天正11年(1583年)に態勢を整えた佐々成政により再び攻囲され、城将須田満親は降伏して開城し、上杉氏による支配が終わった。成政の没落後前田氏の治下では青山吉次などが城代を勤めたが、元和の一国一城令により廃城となったとみられる。 跡地は現在大町小学校および裁判所などの敷地となっており遺構は殆ど残っていない。


【感想】
遺構がほとんど無く、石碑のみが大町小学校構内にある。大河ドラマの影響により事務局に断ると見ることはできますが、石碑だけだとやはり物足りない。
ただここで激戦が繰り広げられたと思うと感慨深いものがあった。



登城日 2009年6月10日(水)
LINK 魚津市HP〜天地人と魚津〜
魚津城-Wikipedia
城主家紋 【三つ巴】
(藤原南家工藤氏流)
河田家家紋
【隅立四つ目結】
(宇多源氏佐々木氏流)
佐々家家紋

                      

探訪

魚津古城絵図
(寛政10年魚津町絵図、前田育徳会蔵、天明5年魚津町絵図、魚津図書館蔵)
【説明板】
大町小学校東入口
【魚津城址石碑】 【上杉謙信歌碑】
「武士の鎧の袖をかたしきて 枕に近き はつかりの声」
【校舎の一角】
天地人効果恐るべし、小学校でここまでしてます。
記念撮影用顔抜き人形がw




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