城名 | 松坂城(別名:松阪城) | |||
住所 | 〒515-8515 三重県松阪市殿町 |
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入場時間 | 松阪市立歴史民俗資料館 午前9時〜午後4時30分 (10/1〜3/31は午後4時まで) 休館日:月曜日、祝日の翌日、年始年末 本居宣長記念館 午前9時〜午後4時30分 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・年始年末 |
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入場料 |
松阪市立歴史民俗資料館
一般:80円、6歳以上18歳以下40円 本居宣長記念館 大人:400円、大学生300円 子供(小学4年〜高校生)200円 |
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指定文化財 | 国指定史跡(2010.11.19付) | |||
城郭構造 | 悌郭式平山城 | |||
天守構造 | 連結式3重5階 | |||
築城主 | 蒲生氏郷 | |||
築城年 | 天正16年(1588) | |||
主な改修者 | 古田重勝 | |||
主な城主 | 蒲生氏郷、服部一忠、古田重勝 | |||
位置 | 北緯34度34分33.秒 東経136度31分32.秒 |
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【概要】 天正12年(1584)、豊臣秀吉より松ヶ島城に封ぜられた蒲生氏郷が飯高郡矢川庄四五百森の独立丘陵に眼をつけ、夜を日に継いで天正16年(1588)に完成させた平山城が現在の松坂城である。 城は東を大手、南を搦手とし、外郭に深田堀及び水堀を巡らし、本丸、二の丸、三の丸、きたい丸、隠居丸、出丸といった郭より構成され、本丸、二の丸、きたい丸、隠居丸には高い石垣を築き、三の丸は土塁であったという。天守台は中央よりやや西に寄り、ここに三層の天守閣がそびえ、それをとり巻いてそれぞれの郭に敵見、金の間、月見等の櫓が配された。 氏郷は城下町の建設にも積極的に進め、城付近の大手町の四つ辻には松ヶ島の旧家蔵方を移住させ、町の中央に近江日野の商人を、湊町に伊勢大湊の豪商角屋氏を呼び寄せて、商業の自由を保証し、後の商都松阪の基礎を築いている。 城が完成して間もない天正18年(1590)、氏郷が小田原合戦の功により、42万石の太守として会津に移封されたため、翌年、服部采女生一忠が3万5千石を領して松坂城主となっている。後、一忠は英次事件に連坐してその罪を秀吉に問われ、文禄4年(1595)切腹自害して果てた。 同年、古田兵部少輔重勝が次いで城主となり、3万4千石を給せられ、関ヶ原合戦後、2万石を加増されている。重勝は慶長11年(1606)江戸で亡くなり、その子重恒が襲封したが幼少のため弟重治が代行した。元和5年(1619)紀州徳川家の祖、徳川頼宣の領地となったため、石州浜田に移っている。以後、松阪には勢州18万石を統括する紀州藩松坂城代が置かれた。 紀州藩領下の松坂城に関して、江戸時代前期の資料には正保元年(1644)に天守閣が風のため倒壊して土台だけになったと記されている。その後、寛政6年(1794)には二の丸に徳川陣屋が建てられているが、これは明治10年、失火により惜しくも焼失した。残っていたほかの表門、裏門、中門、土蔵なども明治14年までには取り壊された。当時の城中の建物としてはもと隠居丸にあった米蔵のみが、現在、殿町御城番屋敷に残っている。 【感想】 蒲生氏郷が築いた城のため感慨深いものがある。遺構は氏郷時代の物がどれだけあるかはわかりませんが、石垣が見事です。城内の城道もクランク状になっていたりと工夫が見られます。 また御城番屋敷の町並みはここでしか見られないのでそれが見られただけでも満足でした。 |
100名城 スタンプ |
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スタンプ 設置場所 |
松阪市立歴史民俗資料館、本居宣長記念館 | |||
登城日 | 一回目:2009年9月20日(日) 二回目:2019年7月15日(月) |
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LINK | 松阪市公式HP-松阪市立歴史民俗資料館 | |||
本居宣長記念館HP | ||||
松阪城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【対い鶴】 (藤原氏秀郷流) 蒲生家家紋 |
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【三つ引両】 (桓武平氏三浦氏流) 古田家家紋 |
※裏門の説明板より |
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【堀】 神道川の一部は、かつての堀の名残ですが、この辺りの堀幅は17間(約30m)もあり、その内側には土居が築かれました。 |
【大手門跡】 大手門は江戸末期の城絵図には「四ツ足御門」と記されています。 |
【二の丸石垣】 | |
【東側虎口】 | 【表門跡】 表門は本瓦葺2階建てで階上を渡櫓とし、その下に門扉を設けた櫓門形式が取れれていたことが分かっている。 |
【松阪城跡碑】 | |
【月見櫓下石垣】 | 【二の丸】 | 【徳川陣屋跡】 寛政6年(1794)には二の丸に徳川陣屋が建てられているが、明治10年、失火により惜しくも焼失した。 |
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【隅櫓跡か?】 この上には改堂亀井翁碑がある。 |
【御城番屋敷】(重要文化財) 裏門跡と搦手門(竹御門)跡を結ぶ石畳の道の両側に槇垣を巡らした武家屋敷が御城番屋敷です。三の丸跡になる。 |
【土蔵】 この土蔵は、江戸時代末期に松阪城内の隠居丸に建てられていた三棟の土蔵(米蔵1、道具蔵2)のうちの米蔵で、明治初期に苗秀社に払い下げられて現在地に移築されたと言われている。 |
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【御城番屋敷】 | 【御城番屋敷から見た裏門石垣】 | 【隠居丸石垣】 | |
【隠居丸石垣】 | 【捨石状遺構】 | 【二ノ丸南側虎口】 |
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【裏門跡】 | 【土戸御門跡】 | 【隠居丸入口門】 隠居丸には本居宣長旧宅「鈴屋」(国指定特別史跡)がある。 |
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【隠居丸】 | 【隠居丸の井戸】 | 【米蔵跡】 御城番屋敷にある土蔵がここに建っていたと考えられる。 |
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【本居宣長旧宅「鈴屋」玄関】 | 【埋門跡】 |
【中御門跡へ続く城道】 | |
【中御門跡】 二の丸・隠居丸ときたい丸を分ける門 |
【本丸下段跡】 | 【太鼓櫓跡】 | |
【月見櫓跡】 梶井基次郎文学の碑が建つ |
【本丸上段石垣】 |
【本丸上段の石段】 | |
【本丸下段から上段の城道】 クランク状になっている。 |
【本丸下段から上段の城道】 | 【本丸上段跡】 | |
【金の間櫓跡】 | 【天守台】 | 【天守付櫓虎口】 | |
【天守跡】 | 【天守跡】 | 【天守台石垣に使用された石棺】 | |
【天守跡から見た本丸上段跡】 | 【敵見櫓跡】 碑の前の草には足を踏み来ないほうが良いです。この写真とるだけで両足に植物の種がいっぱい付きます。取るのに相当時間がかかります。(泣) |
【天守台】 | |
【天守台】 | 【きたい丸】 | 【きたい丸の隅櫓跡】 すぐ下は本居宣長記念館になる。 |
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【松阪城梅林】 きたい丸の一角が梅林になっている。 |
【きたい丸の高石垣】 | 【石段】 この上には築地塀が建ち銃眼も備わっていたのでしょうね。 |
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【本丸北側石垣】 | 【本丸東側石垣】 | 【松阪市立歴史民俗資料館】 | |
【藤見櫓跡】 | 【鐘の櫓跡】 | 【遠見櫓跡】 大林翁記念碑が建っている。 |
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【助左衛門御門跡】 | 【藤見櫓下石垣】 | 【きたい丸西隅石垣】 | |
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【松阪市立歴史民俗資料館】 | 【井戸跡】 | − | |
ジャンル:駅弁 店名:松阪駅前あら竹本店 松阪駅構内売店 住所:〒515-0084 三重県松阪市日野町729-1 (JR松阪駅前通り商店街百五銀行松阪駅前支店隣) TEL:TEL 0598-21-4350 営業時間:午前7時〜午後9時 URL:http://www.ekiben-aratake.com/mootarou.htm 駅弁大会人気No.1を獲得したこともある日本初のメロディ駅弁♪ 蓋を開けると光センサが反応して「ふるさと」が流れる^^; ご飯の上には松阪名物の黒毛和牛のすき焼きがどっさりのっています。程よいわりしたの甘さがいい感じで、あっという間に食べ終わっちゃいます。 松阪起点で三重の城郭に行く時には持ち歩けるのでいいですね。 |