城名 田丸城(別名:玉丸城)
住所 〒519-0415
三重県度会郡玉城町田丸
入場時間
入場料 無料
指定文化財 三重県史跡
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 三層天守(非現存)
築城主 北畠親房
築城年 延元元年(1336)
主な改修者 織田信雄
主な城主 北畠氏、織田氏、田丸氏、久野氏
位置 北緯34度29分25秒
東経136度37分41秒
【概要】
田丸城は、延元元年(1336)後醍醐天皇が吉野還幸のとき北畠親房がこれに呼応し挙兵するため南勢の拠点として築かせたものである。
神領を領有するため南北両朝はしばしばこの城を中心に争奪戦を繰り返したが合一の後は北畠氏領有となり、愛洲忠行が城主となった。愛洲氏は、後に田丸氏を名乗り、蒲生家家臣になっている。
室町末期、織田信長が伊勢攻略時、次男信雄を伊勢国司北畠氏の養子嗣として和睦、南勢五郡を制し、天正3年(1575)冬、信雄は大河内城から田丸城に移った。この時、田丸城を大修築し、本丸・二の丸・北の丸を設け、本丸には三層天守閣を築き、外城田川の流れを変え、城下を取り囲む外濠とした、現在の規模を整えたが火災により天守を焼失、信雄は松ヶ島城に移った。
天正12年(1584)、松ヶ島城に入った蒲生氏郷は、田丸城に妹婿の田丸直昌を再び田丸城主とした。天正18年(1590)、氏郷の会津への移封により、田丸氏も陸奥三春城へ移った。
氏郷入封後、稲葉氏、藤堂氏、久松氏がこれを領したが明治維新、廃城により御料林(国有地)に編入。城地の払下げに際し、村山龍平氏(旧田丸領氏族・朝日新聞創始者)の篤志により旧田丸町所有地となり、その後残りの城地も町有化し、城山公園として町民に開放された。


【感想】
知人のお薦めということで訪れた城、石垣がしっかりと残り、城めぐりで伊勢に来たら見なきゃ損をする。
縄張りも見事で、信雄が大改修したとは思えない城でした。信雄の見方が少し変わりました。

100名城
スタンプ
スタンプ
設置場所
村山龍平記念館内玉城町教育委員会窓口
登城日 一回目:2009年9月20日(日)
二回目:2019年7月13日(土)
LINK 玉城町HP
田丸城-Wikipedia
城主家紋 【笹竜胆】
(村上源氏久我氏流)
北畠家家紋
【織田木瓜】
織田家家紋
【八段の鞠挟み
(村上源氏北畠氏支流)
田丸家家紋

                      

探訪

※本丸案内板より御(加筆あり)
【御鳥見役屋敷跡】
田丸駅から城址に向かう道端にある。紀州藩主は鶴を毎年将軍に献上するため、飼いならした鷹に鶴を捕らえさせるという鷹狩(放鷹)を行っており、国束山麓一帯は鷹狩り場として鳥獣の狩りを禁止し、保護した。御鳥見役とは、この鷹狩り場の取締りと、鷹の餌差し等の世話をする役人のことで、田丸城内の鷹場(御鳥見役屋敷)を寛永年間(1624〜1644)城外のこの地に移しました。
【南側堀】
写真左手の道を進むと搦手方向に、右方向に進むと大手方向へ。
【搦手道】
【搦手門跡】 【搦手門礎石】 【二の丸南側石垣】
【二の丸石垣】
二の丸下は帯曲輪になっている。直進すると梅林があり、木尾他の丸のほうに通じる。

【帯曲輪の梅林】
この道を進めば北の丸方向へ。
【二の丸跡】
【富士見台跡】
二の丸の南側にある。
【二の丸虎口】
富士見台のすぐ下にある。
【二の丸虎口】
虎口内は枡形が形成されている。二の丸の下は三の丸になる。現在は玉城中学校の校庭になっている。
【二の丸虎口内】
写真左手が富士見台跡、その下には武者溜りのような空間がある。
【二の丸と本丸の間の空堀(帯曲輪)】
【土橋】
二の丸と本丸とをつなぐ土橋。
【本丸二の丸側虎口】
この虎口は喰違い虎口になっている。
【本丸南西側にある隅櫓跡】
火薬庫(焔硝蔵)になっていた。
【本丸跡】
【天守台】
【天守虎口】
入口石段が扇状形になっている珍しい天守台。
【天守穴蔵跡】
【天守虎口】 【本丸東側虎口】 【本丸虎口と門跡】
虎口は鉤形になっている。
【本丸登城道】 【本丸登城道】
下に下ると三の丸へ続く、写真を撮っている側へ進むと北の丸へ続く。
三の丸から本丸へ登っていくと180度に道が折れるためこの場所が防御するうえで重要な個所と考えられる。三の丸へ進む道と本丸へ進む道の間には土塀があったと思われる。
【北の丸へ続く土橋】
【北の丸にある稲荷神社】 【北の丸跡】 【本丸石垣と帯曲輪】
搦手側の梅林から進むとここに出る。
【本丸石垣と帯曲輪】
北西側から見た本丸石垣。
【本丸石垣と帯曲輪】
西側から見た本丸石垣。
【帯曲輪】
【本丸虎口】 【三の丸跡】
三の丸は玉城中学校となっている。
【北の丸西側空堀】
【北の丸石垣】
この辺りの石垣は古いのであろう隅石が算木積になっていない。
【本丸と北ノ丸とをつなぐ部分】
正面は土橋になっている。
【本丸と北の丸をつなぐ土橋】
この部分の石垣は平成4年に修復した個所で根石の調査を行ったが十分な資料が得られず、現代技術による野面積み工法により新規に構築した石垣である。
【本丸石垣】 【富士見門(長屋門)】(移築復元)
三の丸から二の丸富士見台に向かう個所にあった門。
【蓮池跡】
現在は蓮が植えられており、昔の面影を偲ぶことが出来る。
【元代官屋敷跡】 【三の丸奥書院】
三の丸に建てられていた御殿の一部といわれる奥書院。
元代官屋敷のそばに機関車が展示してあり、その向こう側に建っている。村山龍平記念館の裏手になる。
【三の丸奥書院】
【三の丸虎口】
ここから進むと玉城中学校へ。
【田丸城址碑】 【ニの門跡】
【内堀】 【大手門跡】 【大手門橋跡】
【大手側外堀】 【田丸城主久野家菩提寺である大得寺】
田丸駅そばにある。
【大得寺山門】




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