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城名 鳥羽城(別名:鳥羽の浮城、錦城、二色城)
住所 〒517-0011
三重県鳥羽市鳥羽
入場時間
入場料 無料
指定文化財 三重県史跡
城郭構造 平山城・海城
天守構造 3重(1633年築)非現存
築城主 九鬼嘉隆
築城年 文禄3年(1594年)
主な改修者 内藤忠重
主な城主 九鬼氏、内藤氏、土井氏、稲垣氏など
位置 北緯34度28分50.98秒
東経136度50分40.38秒
地図 本丸跡
二の丸跡
三の丸跡
本丸虎口
石碑
【概要】
志摩国を平定した九鬼嘉隆が、天正14年(1586)磯部の恵利原にある「天の岩戸」に参籠し、愛染明王の信託を得て、当時、前島(観音山とも)と呼ばれ、三方を海に囲まれた要害を城地と定め、大阪城築城用に三河国幡豆から海上輸送した石材の一部をもって石垣を築き約八年を要して、文禄3年(1594)8月に完成したという。

慶長5年(1600)関ヶ原合戦のおり、嘉隆は石田光成の西軍、この守隆は徳川家康の東軍となり、守隆に鳥羽城攻略の命が下ったが、嘉隆は鳥羽城を灰燼に帰すことを避け、岩倉田城に移り、西軍の敗れたことを知ると慶長5年10月12日答志島の洞泉庵で切腹した。
鳥羽城は寛永9年(1631)守隆が没するまで九鬼水軍の本拠であった。守孝の死後相続問題が起き、翌年二家に分断され五男久隆と三男隆季は鳥羽を去った。

寛永10年(1633)に内藤忠重が入封した後、二の丸・三の丸を増設し、近代城郭としての体裁を整えた。
その後は土井、松平(大給)、板倉、松平(戸田)、稲垣氏と城主が変わった。
一般に海城は、海を防御のために利用するのにたいし、この城は、建物の正門である大手門を海に開く独特なもので「鳥羽の浮城」とも呼ばれ、全国的にも類を見ない、まさに水軍の城としてその威容を誇った。
また、城の海側が黒色、山側が白色に塗られていたため、二色城、錦城とも呼ばれる。

明治4年廃城となり、建物は取り壊され、蓮池の堀は埋め立てられて錦町ができ、二の丸付近には造船所が作られた。昭和37年前後には、家老屋敷跡に市役所や鳥羽幼稚園が建設され、三の丸への石段も新しいものにかえられた。

答志島には九鬼嘉隆の首塚と胴塚がある。

【感想】
正直どこが二の丸なのか本丸なのかがよくわからないくらい遺構が少ない。本丸には石垣が若干残っているが半分は小学校の校舎が建っている。二の丸付近から見る鳥羽の海はかつてこの城が海城だったということを感じさせてくれます。
夜は校舎があるので怖いです。

登城日 2009年9月20日(日)
LINK 鳥羽市公式HP
鳥羽城-Wikipedia
城主家紋 【七曜】
(熊野別当流)
九鬼家家紋
【下り藤】
(藤原氏秀郷流)
内藤家家紋(三河)

                      

探訪
    
※城内案内板より                                      ※鳥羽城古絵図より
【城山公園入口】
城の北側に当たる。
【二の丸(下段)】 【二の丸(上段)】
【二の丸石垣?】
海側の斜面を整備中?石垣のようなものがあるが現代のものであろう。
【本丸虎口石垣】 【本丸虎口前の石碑】
【本丸石垣】 【本丸跡】
鳥羽小学校の校庭となっていた。現在、鳥羽小学校も廃校になっている。この個所に三層の天守が建っていた。
【本丸跡】
鳥羽小学校校舎跡も本丸跡になる。
【本丸石垣】 【本丸石垣】 【鳥羽小学校跡】
ここも本丸である。
【鳥羽小学校跡】
ここも本丸である。
【案内板と石碑】 【案内板】
【ジャンル】定食
【店名】ふるさと館
【場所】三重県鳥羽市鳥羽1丁目6-19
    鳥羽城址入口そば
【TEL】0599-26-6818
【品名】海老フライ定食 \1,575-
【感想】
伊勢海老を贅沢にフライにした一品、棒状でなく海老を開いてフライにしているに驚き、その歯ごたえもぷりぷりを通り越していて、噛むたびに海老の甘さが広まり贅沢な定食でした。 味噌汁にも伊勢海老が入っているので伊勢海老三昧です^^
他にもいろいろ食べたくなっちゃうメニューが多かったです。




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