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城名 | 山中城 | ||
住所 | 〒411-0011 静岡県三島市山中新田字下ノ沢ほか |
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入場時間 | − | |||
入場料 | 無料 | |||
指定文化財 | 国指定史跡 | |||
城郭構造 | 山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 北条氏康 | |||
築城年 | 永禄年間(1558年〜1570年) | |||
主な改修者 | 北条氏政 | |||
主な城主 | 松田氏 | |||
位置 | 北緯35度9分23.03秒 東経138度59分32.71秒 |
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地図 | 1 | 岱崎曲輪 | ||
2 | 三ノ丸(宗閑寺) | |||
3 | 二ノ丸(北条丸) | |||
4 | 西ノ丸・西櫓間障子堀 | |||
5 | 本丸 | |||
100名城 スタンプ |
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【概要】 山中城は、北条氏康が戦国時代末期の永禄年間(1560年代)に、北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点として、東海道を取り込む形で造られた。 その後、天正17年豊臣秀吉と不仲となった北条氏政は、秀吉の小田原攻めに備え急遽堀や岱崎出丸等の整備、増築を行いました。しかし翌天正18年(1590)3月29日、増築が未完成のまま、4万の豊臣軍の総攻撃を受けました。北条軍は4千で、必死の防戦もかいなく鉄砲と圧倒的兵力の前にわずか半日で落城したと伝えられています。この時の城将松田康長、副将間宮康俊、豊臣方の一柳直末等武将の幕が三ノ丸にある宗閑寺境内にあります。400年前の遺構がそのまま復元されている石を使わない土だけの山城は全国的にも非常に珍しいものです。堀や土塁が良く残っており、尾根を区切る曲輪の造成法、架橋や土橋の配置など箱根山の自然の地形を巧みに取り入れた山城の作り方など、目を見張るものがあります。昭和9年(1934)国の史跡として指定されています。 【感想】 後北条氏特有の畝のある堀が復元整備されいて、見ごたえは十分。特に西ノ丸、西櫓付近は見事です。 また、城とは関係ないが富士山が間近に見えて周りの風景も絶景である。 |
スタンプ 設置場所 |
山中城跡売店(月曜休業) | ||
登城日 | 2009年10月30日(土) | |||
LINK | 三島市観光協会 | |||
山中城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【三つ鱗】 (伊勢平氏流) 後北条家家紋 |
【冠木門】 駐車場の脇にポッツンと建っているこの門何かの意味があるのかは説明板もなく不明。 |
【北条橋】 | 【北条橋】 | |
【箱根旧街道】 石畳がいい感じです。 |
【山中城跡案内所・売店裏】 正面は箱根旧街道で先へ進むと右側に北条橋がある。手前の階段を上ると岱崎曲輪へ。 |
【御馬場曲輪】 古くから御馬場跡と伝承され、土塁で東側と北側で守り、西側は深い空堀につづき、南側は急峻な谷で囲まれた岱崎出丸最大の曲輪である。 曲輪内は、本丸は同様式の二段構築でつくられている。建物跡は確認されなかったが、土塁上からは田方平野を眼下に見渡すことができ、出丸防衛上の拠点であったものと推定される。 |
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【出丸御馬場堀】 堀内に畝が検出されたことから、西櫓堀、西ノ丸堀と同様畝堀であったと考えられる。畝の傾斜度は50度〜60度の急峻で、平均した堀底の幅は約2m、堀底から曲輪までの高さは、平均9mにも及ぶ。 |
【構築途中の曲輪跡】 御馬場曲輪堀を掘った時に出たブロック状のロームにより小高い丘のように造られ、北側には土塁が積まれている。遺構らしいものはそれだけであるが、尾根を削り成形しながらここに曲輪を構築すべく工事を急いだ様子がうかがわれる。 しかし、時間的に間に合わず、そのまま工事の途中で戦闘に突入したものであろう。 |
【岱崎曲輪】 この地は、標高547m〜557m、面積20,400uに及ぶ広い曲輪である。地名の岱崎をとり、岱崎城と呼ばれることもある。 この出丸を守ったのは副将間宮豊前守康俊といわれ、壮絶な戦闘を繰り広げ全員が討死したと伝えられる。 |
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【岱崎出丸「一の堀」】 一の堀は、出丸全域を鉢巻のようにめぐるのではなく、先端のすり鉢曲輪から西側の箱根旧街道の空堀まで続くものである。 指定地内の約150m間に、17ヶ所の畝を確認することができた。完堀された一の堀の第三区画はローム層を掘り下げて畝を残し、70度前後の傾斜角をもってたちあがっている。したがって堀底からすり鉢曲輪の土塁までは、斜距離18〜20m前後の急峻な勾配がつくわけである。 |
【すり鉢曲輪見張台】 出丸先端に位置するこの見張台は土塁上の一角をやや拡げて、土塁と兼用させたものである。すり鉢曲輪南側の樹木を低くすることにより、三島・沼津方面から韮山城まで手に取るように望見出来る。 |
【見張台からの眺望】 | |
【見張台からの眺望】 | 【すり鉢曲輪】 山中城出丸の最先端を防備する重要な位置にある曲輪である。そのためか曲輪の構築方法も、本丸側の曲輪とまたく異なり、中央部を凹ませて低くし、中心から緩やかな傾斜で土塁まで立ち上がり、中途から傾斜を強め土塁の頂部に達している。上方から見た様子が、すり鉢によく似ていることから通称「すり鉢曲輪」と呼ばれる。 |
【岱崎出丸「一の堀」】 西の端より東方向に撮影。 |
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【すり鉢曲輪虎口】 この虎口は南側につくられているが、さらに東側に接続して、幅8mの長方形の曲輪がつくられており、防備のための「武者だまり」と推定される。 |
【武者だまり】 | 【三の丸堀へ続く駐車場の門】 | |
【三の丸堀の西側堀】 三の丸の曲輪の西側を出丸まで南北に走るこの堀は、大切な防御のための堀である。三の丸堀は自然の谷を利用して中央に畝を設けて二重堀としている。 中央の畝を境に、東側の堀は水路として箱井戸・田尻の池からの排水を処理し、西側の堀は空堀として活用していたものである。この堀の長さは約180m、最大幅約30m、深さは約8mを測る。 |
【三の丸堀の東側堀】 | 【田尻の池】 東側の箱井戸と田尻の池とは、一面の湿地帯であったが、山中城築城時、盛土(土塁)によって区切られていたものである。山城では、水を貯える施設が城の生命であることから、この池も貴重な溜池の一つであったと考えられる。 しかも、西側は「馬舎」と伝承されているところから、この地は馬の飲料水、その他に用いられたものと推定されます。 |
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【箱井戸】 箱井戸と田尻の池の間は土塁によって分離され、排水溝によってつながっていた。これは湧水量が多く、一段高い箱井戸から田尻の池へ水を落とすことにより、水の腐敗や鉄分による変色を防ぐための工夫と考えられる。箱井戸の水をじょうへいの飲料水とし、田尻の池は、洗い場や馬の水飲み場等として利用していたのであろう。 |
【二ノ丸へ続く門】 |
【二ノ丸への通路】 両脇を土塁に囲まれたこの場所は堀底のようであるがこの上に二ノ丸への虎口がある。 |
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【二ノ丸への通路の土塁】 | 【二ノ丸虎口】 右へ曲がると二ノ丸になる。 |
【大土塁上より二ノ丸虎口】 | |
【二ノ丸(北条丸)】 二ノ丸は東西に延びる尾根を切って構築された曲輪である。尾根の頂部にあたる正面の土塁から、南北方向に傾斜しており、北側には堀が掘られ、南側は斜面となって箱井戸の谷に続いている。この斜面を削ったり盛土して、山中城最大の曲輪二の丸はつくられたのであるが、本丸が狭いのでその機能を分担していたと思われる。 |
【架橋】 二ノ丸と元西櫓の間の堀には、橋脚台が堀残されており、四隅に橋脚を立てた柱穴が検出された。橋脚の幅は南北4.3m、東西1.7mで、柱の直径は20〜30cmであった。復元した橋は遺構を保護するため、盛土して本来の位置より高く架けられている。 |
【元西櫓】 この曲輪は西ノ丸と二ノ丸の間に位置し、周囲を深い空堀で囲まれた640uの小曲輪である。 |
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【元西櫓虎口】 西ノ丸へ続く堀底へ。 |
【元西櫓と西ノ丸の間の堀切】 | 【西ノ丸虎口】 西ノ丸には東側に2つの虎口がある。 |
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【西ノ丸】 西ノ丸は3400uの広大な面積をもつ曲輪で、山中城の西方防衛の拠点である。 |
【西ノ丸虎口】 | 【見張台】 この見張台を中心に曲輪の三方をコの字型に盛土を築き、内部は尾根の稜線を削平し見張台に近いところから南側は盛土して平坦にしている。 |
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【西ノ丸と西櫓間の障子堀】 中央に太く長い畝を置き、そこから交互に両側の曲輪に向かって畝を出し、障子の桟のように区画されている。 |
【西ノ丸と西櫓間の障子堀】 | 【西ノ丸への土橋】 この土橋から西ノ丸に入るには、土橋を渡って正面の土塁の下を左へ折れ、西ノ丸南辺からのびてくる土塁との間の細い上り坂の通路を通り、さらにこの二つの食違い土塁に挟まれた通路に設けた木戸を通る。 |
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【西ノ丸南側畝堀】 西ノ丸内部に敵が侵入することを防ぐため完全に曲輪の周囲を堀によってとりまいている。山中城では場所によって水のない堀、やわらかい泥土のある堀に分けられる。 この堀の中は、5本の畝によって区画されている。畝の高さは堀底から約2m、さらに西ノ丸の曲輪へ入るには9m近くよじ登らなければならない。(昔は堀周りに樹木はなかった。) |
【元西櫓下の堀】 |
【西ノ丸と西櫓間の障子堀】 | |
【西櫓(角馬出)】 西ノ丸から障子堀を越えて、前方に突き出たこの西櫓を長方形につくり、それに沿って土塁と堀を巡らしている。防御するときは、西ノ丸の虎口を中心に、攻撃に出るときは堀の外側の西櫓を起点として、堀の南端の土橋と北端の木橋を用いる。 |
【西櫓台跡】 | 【西櫓西側畝堀】 | |
【帯曲輪】 西木戸に続く曲輪。 |
【西木戸跡】 | 【山中城跡碑】 | |
【西櫓北側畝堀】 | 【西ノ丸と西櫓間の障子堀】 | 【西ノ丸と西櫓間の障子堀】 | |
【西ノ丸付近からの富士山】 | 【西ノ丸北側畝堀の最東端】 ここから先は堀はなくなる。 |
【溜池】 山田川の支流の谷がここまで延びてきていたものを盛土によって仕切り、人口土手を作って深い堀としたものである。この溜池へ本丸、北ノ丸等の堀水が集まり、また広大な西ノ丸の自然傾斜による排水も、元西櫓の排水も流入する仕組みになっている。 |
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【二ノ丸架橋と堀】 | 【本丸北側堀】 この堀の中にも僅かに畝が見える。 |
【北ノ丸】 | |
【北の丸堀】 | 【北の丸虎口】 | 【北の丸と本丸間の堀】 | |
【本丸北橋】 | 【本丸北橋と北ノ丸】 | 【天守台上部】 | |
【本丸】 天守台より。 |
【本丸】 | 【天守台】 | |
【本丸西虎口、本丸西櫓】 | 【本丸西側堀】 二ノ丸との間の堀 |
【本丸西側堀】 | |
【弾薬庫跡】 | 【兵糧庫跡】 | 【県指定天然記念物 大樫】 | |
【駒形諏訪神社】 | 【三ノ丸跡】 現在は宗閑寺が建つ。 |
【山中城将(北条方武将)の墓】 城主松田康長、副城主間宮康俊等の墓。 |
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【豊臣方武将の墓】 人柳直末の墓。 |
【芝切地蔵尊】 | − | |
ジャンル:そばなど 店名:山中城案内所・売店 住所:〒411-0011 静岡県三島市山中新田119-1 TEL:055-985-2970 営業時間:10:00〜16:00 定休日:月曜日 寒ざらし団子は6個入り300円、写真は持ち帰り用。蓬を練りこんだ上新粉の団子を素揚げして、味噌ダレ+きな粉、抹茶塩がかけてある。 この食べ方はこの「売店」のオリジナルらしいが、寒ざらし団子はこの山中新田や遠くは御殿場の辺りでも昔から作られていた団子で、上新粉を冬場の寒気にさらして作ったことからこの名がついたという。素朴な、昔ながらのお団子です。 お蕎麦も美味しかったですよ。 |