城名 吉田城(別名:豊橋城、今橋城、峯野城、歯雑城)
住所 〒440-0801
愛知県豊橋市今橋町
入場時間 土日祝日 午前10時〜午後3時
入場料 無料
指定文化財 史跡
城郭構造 半輪郭式平城
天守構造 なし
築城主 牧野古白
築城年 永正2年(1505)、明応5年説も有り
主な改修者 池田輝政
主な城主 牧野氏、戸田氏、酒井氏、池田氏、松平氏ほか
位置 北緯34度46分12.53秒
東経137度23分36.06秒
【概要】
吉田城の歴史は、永正2年(1505)、今川氏の被官であった一色城(豊川市牛久保町)城主の牧野古白により、その前身の今橋城が築かれたことに始まる(明応5年説もある)。
戦国の争乱の世の中で、東三河の要であった今橋城は、今川・武田・松平(徳川)ら戦国武将の激しい攻防を繰り返す中で名も今橋から吉田と改められた。永禄8年(1565)、徳川家康は今川氏の東三河における最大拠点であった吉田城を攻略し、ここに酒井忠次を置いた。
天正18年(1590)、家康の関東移封によって、池田輝政が15万2千石で入城し、城地の拡張と城下町の整備を行ったが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の後、播州姫路に所替えとなった。
幕藩期には東海道の要衝として、竹谷松平2代、深溝松平2代、水野忠清、水野忠善、小笠原4代、久世重之、牧野2代、大河内松平の松平信祝、本庄松平の松平資訓、そして再び大河内松平7代と譜代大名が在城したが輝政によって拡張されたこの城も、財政的要因のため完全に整備されないまま明治に至った。

【吉田城の縄張り】
吉田城の縄張りは豊川や朝倉川を背に本丸を基点として、二の丸・三の丸を前面と側面に配した半輪郭式の「後堅固の城」と称されるものである。ただし、この縄張りの欠点は河川を背にして戦う背水の陣となり、さらに背後からも渡河され、本丸を直接攻撃されやすいことにある。このため、吉田城は本丸背後に腰曲輪を備え、石垣もより高く強固なものとしてその弱点を補っている。
今橋時代の縄張りがどのようになっていたか、それを裏付ける資料はないが、起伏のある台地を生かし、谷を自然堀とした程度のものであったと考えられる。また往時の本曲輪は、現在の本丸と三の丸会館の間の金柑丸跡を中心とする一帯と推定される。

【感想】
吉田城は鉄櫓だけなのかな?と思いきや、本丸は石垣に囲まれ、堀もはっきり残り、天下普請の城ではないが城内には刻印がついた石垣があったりするので見どころが多かったです。
そして最後は豊川の対岸から見る吉田城は何とも言えません。

100名城
スタンプ
スタンプ
設置場所
吉田城鉄櫓内
登城日 一回目:2009年11月22日(日)
二回目:2019年5月14日(土)
LINK 豊橋市HP
吉田城-Wikipedia
城主家紋 【丸に三つ柏】
(紀氏流/蘇我支族)
牧野家家紋
【剣片喰】
(加茂氏族)
酒井家家紋
【備前蝶】
池田家(備前)家紋

                      

探訪

※本丸案内板より御(加筆あり)
【三の丸口門跡】
【太鼓櫓跡】 【三の丸土塁】
【三の丸堀跡と土塁】 【川毛口門跡】 【地方役所跡】
【評定櫓跡】
二の丸口南東にあった評定櫓は三層建て。二の丸御殿に最も近く、形式上藩政を評議する場所として用いた。
【二の丸御殿跡】
御殿は、城主の居住区であり政庁が置かれていた。
【金柑丸堀と金柑丸土塁】
【評定櫓跡】
二の丸口南東にあった評定櫓は三層建て。二の丸御殿に最も近く、形式上藩政を評議する場所として用いた。
【二の丸御殿跡】
御殿は、城主の居住区であり政庁が置かれていた。
【金柑丸堀と金柑丸土塁】
【三の丸会館】 【歩兵第二百二十九連隊記念碑】 【本丸堀端】
ここから見ると大堀切のように見える。
【本丸内堀跡】
本丸辰巳櫓下には石垣が見られる。
【辰巳櫓下の石垣】
この上はちょうど辰巳櫓になっており土の崩れを防ぐための石垣と思われる。
【二の丸口門跡】
【着到櫓跡】 【着到櫓跡】 【冠木門跡】
本丸南側の虎口で土橋の手前に位置する。
【鏑木門跡】 【本丸内堀跡】 【本丸南御門前土橋の石垣】
【本丸南御門石垣】 【本丸南御門石垣】 【本丸南御門石垣】
【本丸南側内堀跡】 【本丸内堀石垣】 【本丸東側土橋石垣と辰巳櫓下石垣】
【千貫櫓跡】 【千貫櫓跡に建つ城址碑】 【本丸西側塀跡】
【辰巳櫓跡】 【辰巳櫓跡から見た鉄櫓】 【本丸御裏門跡】
本丸東側に位置し枡形を形成している。
【入道櫓跡】 【本丸井戸跡】 【本丸御殿跡】
吉田城の本丸御殿は将軍が上洛した際の宿舎となっていたようです。
【鉄櫓】
模擬復興櫓である。
【吉田城本丸模型】 【鉄櫓からの眺望】
すぐ裏に豊川が流れているのがよくわかる。
【武具所跡】
鉄櫓と北御多門の間にあった建物。
【武具所跡より見上げた鉄櫓】 【本丸北御門跡】
【北御門跡礎石】 【北御多門跡】
本丸北側に位置し、枡形を形成している。
【東御多門へ続く石段と池田時代の石垣】
【腰曲輪跡】
豊川に面した部分の防御のために造られた曲輪。
【腰曲輪跡】 【本丸石垣】
左側は池田時代の石垣で城内で一番古い石垣。
【櫓台】
鉄櫓下の櫓台石垣。
【川手櫓跡】
鉄櫓の真下、腰曲輪西隅に位置した三層の櫓。鉄櫓の控えとして搦手よりの敵に備えた。
【お花畑跡】
本丸の空堀で昔はお花畑と呼ばれていた。ここには井戸もあった。吉田城は豊川がすぐ近くにあるにも関わらず、すべての堀が空堀だったそうです。
【船着場跡から見た鉄櫓】 【船着場跡】
埋門に近いものと思われる。
【川岸から見た鉄櫓】
【水門跡】
吉田大橋のたもとに位置する。正面は豊城小学校。
【吉田大橋より見た吉田城】 【豊川対岸より見た吉田城】
【豊川対岸より見た吉田城】 【明治初年に撮影された吉田城】 【豊橋市役所展望フロアから鉄櫓】
木でよく見えないのが残念です。
ジャンル:とうふ料理
店名:鈴の屋
住所:〒440-0075
  愛知県豊橋市花田町西宿無番地
TEL:0532-56-6119

営業時間:11:00〜22:00
定休日:駅ビル「カルミア」と同じ

写真:菜めし田楽定食 \990-
菜めしと味噌汁はおかわり自由
名古屋の八丁味噌で味付けされた田楽は豆腐、里芋、こんにゃくの三種類がついており、どれもお味噌の香ばしさがなんとも言えなく美味しかったです。
その他にも定食がありましたので満足できるお店だと思います。




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