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城名 西尾城(別名:鶴城、鶴ヶ城、錦丘城、西条城)
住所 〒445-0864
愛知県西尾市錦城町
入場時間 西尾市資料館
開館時間:午前9時〜午後5時
休館日:月曜、祝日の翌日(土曜日は除く)
   12月29日〜1月3日
入場料 無料
指定文化財 市史跡
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 不明(1585年築・非現存)
複合式望楼型3重4階(1645年頃改・非現存)
築城主 足利義氏
築城年 不明
主な改修者 酒井重忠、田中氏
主な城主 吉良氏(旧足利氏)、酒井氏、田中氏、など
位置 北緯34度51分46秒
東経137度2分55秒
地図 本丸丑寅櫓
鍮石門
旧近衛邸
姫丸辰巳櫓跡
東之丸丑寅櫓跡
【概要】
承久の乱(1221)の戦功により三河国の守護に任じられた足利義氏が築城した西条城が始まりと伝えられます。足利氏は吉良氏と改め、この地を治めます。戦国時代末には牧野成定、酒井正親、田中吉政と城主は代り、城域も拡大しました。田中氏の時代に城域はさらに拡張されほぼ確定しました。田中氏の転出にともない、慶長6年(1601)に本多康俊が西尾二万石の藩主として入りました。
その後、藩主は松平氏、本多氏、太田氏、井伊氏、増山氏、土井氏、三浦氏と頻繁に代わりますが、いずれも譜代大名でした。明和元年(1764)に山形から大給松平氏は西尾六万石の藩主として来て以来、廃藩まで五代続きました。

【感想】
西尾城に向かう途中にあった尚古荘、大名庭園ではないものこの中に西尾城の櫓跡や土塁が残っているのには正直驚きました。西尾城を訪れた際には、尚古荘にも立ち寄った方が良いです。
二之丸は整備が始まるのか天守が復元されることを期待します。

登城日 2009年11月23日(月)
LINK 西尾市HP
西尾城-Wikipedia
城主家紋 【二つ引両】
(清和源氏足利氏流)
三河吉良家家紋
※足利より改名
【剣片喰】
(加茂氏族)
酒井家家紋
【左三つ巴】
(橘氏後裔?)
田中家家紋

                      

探訪
【三之丸新門跡】
搦手門の役割を持っていた内枡形の門であった。
【東之丸丑寅櫓跡】
今は尚古荘の東屋となり、庭園の一部になっている。
【東之丸太鼓門跡】
三之丸より東之丸への入口にあって二階建の楼門式の門であった。
【二之丸鍮石門】
二之丸御殿の玄関前にあった門で、古くは「中柵門」、「玄関前門」と呼ばれていた。
【旧近衛邸】
京都の近衛邸内にあった建物の一部、書院と茶室を移築した。
【旧近衛邸】
【丸馬出跡】
旧近衛邸の庭ですが、白砂部分は発掘調査で深さ2.5mの二重の堀の跡で、堀で丸く囲まれた部分は馬出と呼ばれる小曲輪で出撃に際して集合場所であり、虎口を守るための重要な場所。。
【本丸堀】 【本丸堀】
【本丸跡】
現在は西尾神社が建つ。
【本丸土塁】 【本丸井戸跡】
西尾神社の脇にある。
【御剱八幡宮】 【丑寅櫓の石垣】 【手水鉢】
右側は寛文13年西尾中町永田貞右衛門の奉納。
左側は、土井氏の重臣多米甚五右衛門の寄進。
【本丸表門跡】
姫丸から本丸に至る位置に築かれた二階建ての楼門式の門。
【本丸表門礎石】
なぜか、表門碑から3,4m離れた場所に置いてある。
【丑寅櫓】
本丸隅櫓の一つで、他の櫓に比べ高く。三層の櫓であった。この櫓は城下を一望できることから、物見櫓として利用されたものと考えられる。
【丑寅櫓2階部分】
高さが低いため立つことができない。
【丑寅櫓3階部分】 【丑寅櫓空の眺望】
【西尾城址碑】 【丑寅櫓】
西尾市資料館よりみた丑寅櫓。
【姫丸辰巳櫓跡】
姫丸は、南・東・北は塀により、西は内堀により囲まれる狭小な縄張りで、本丸表門前の馬出しの役割を担っていた。この上、南東側の平坦な部分に辰巳櫓があった。
【姫丸辰巳櫓跡】 【姫丸門跡】 【二之丸跡】
この右隅奥に全国でも珍しい二之丸に天守があった。ここにあった体育館がなくなったので天守が復元されるかもしれない。
観光〜尚古荘〜




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