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※目印は大体の位置を示しています。
城名 高岡城
住所 〒933-0044
富山県高岡市古城1番9号
入場時間 高岡市立博物館
開館時間:午前9時〜午後5時
    (入館は午後4時30分)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、年始年末
入場料 無料
指定文化財 県指定史跡
城郭構造 梯郭式平城
天守構造 不明
築城主 前田利長
築城年 慶長14年(1609)
主な改修者 不明
主な城主 前田利長
位置 北緯36度44分57秒
東経137度1分14秒
地図 本丸跡
土橋の石垣
二ノ丸跡
三ノ丸跡
枡形濠
100名城
スタンプ
【概要】
慶長3年(1598)利家の後を継いで加越能三国の太守となった前田家二代藩主利長は慶長10年封を利常に譲り富山城に隠居したが慶長14年(1609)3月富山城は火災にあい、新たに高岡城を築城して町造りを行った。設計はキリシタン大名の高山右近が行い約半年後の慶長14年(1609)9月13日入城した。総面積71,261坪(内水濠22,400坪)あり、城内は本丸、二ノ丸、鍛冶丸、三ノ丸、明丸などに分かれれていた慶長19年(1614)5月利長が亡くなって間もなく廃城となり明治維新後民間に払下げられんとしたが時の高岡区長服部嘉十郎などの奔走により明治8年(1875)7月富山県史跡に指定、往年の水濠はそのまま遺存、水のある城址公園として全国にも稀である。

城内の案内板では高山右近が縄張りをしたと記載がありますが、博物館にあった資料には、最近の研究では利長自らが縄張りをした可能性が指摘されています。
縄張り形式は、本丸から二ノ丸、鍛冶丸、明丸、三ノ丸、現「梅林」、御城外(現小竹藪)という7つの廓(城内の区画)を土橋で繋げる「連続馬出」であり、非常に高い防御力を持っています。
建造物は「越登賀三州志」よれば、前田利家が豊臣秀吉から賜った伏見の豊臣秀次遺館の良材を用いて、殿閣が建てられたといいます。その他の建造物は不明ですが、各種史料から、本丸には材木蔵・番所・鷹部屋、「貫土橋」(車橋)や、二ノ丸に鈴木御之助(利長夫人付)屋敷と門と隅櫓2棟、三ノ丸には今枝民部直恒の屋敷があったなどが記されています。


【感想】
現在は公園化が進み、曲輪同士が昔と違った形で橋が掛けられ出入口もでき、遺構は殆どありません。唯一大手口の土橋の石垣は良く残っており必見です。また博物館の資料を見ると往時の姿がわかり堅固な造りを誇っていたと分かります。

スタンプ
設置場所
高岡市立博物館
登城日 2011年11月4日(金)
LINK 高岡古城公園公式HP
高岡市立博物館HP
高岡城-Wikipedia
城主家紋 【梅 鉢】
(称菅家流)
前田氏家紋

                      

探訪

※案内板より
【大手口右側の濠】 【枡形濠】 【枡形濠内部】
【三ノ丸濠】 【三ノ丸跡】
現在は市民体育館が建つ。
【民部の井戸】
【梅林】 【小竹藪跡】 【池の端入口】
虎口の様だが昔はここに入口はないようです。
【土塁】
池の端入口の土塁なのでお城の遺構ではないようです。。
【朝陽橋】
昔ここには橋が架かってはなく両岸に櫓台があったようです。
【朝陽橋上から見た内濠と中ノ島】
【本丸跡】 【前田利長公像】 【本丸跡に建つ射水神社】
【本丸土橋の石垣(本丸から見て右側)】
本丸と二ノ丸を繋ぐ土橋には石垣が使われている。石垣は乱積みで積まれている。
【本丸土橋の石垣(本丸から見て左側)】 【内濠】
【二ノ丸跡】
現在は市民会館が建っている。
【鍛冶丸跡】
現在は高岡市立博物館が建っている。
ここでスタンプが押せます。
【高岡城の石垣の石】
【大手口に立つ高山右近像】 【南外濠】
正面に見える橋は駐春橋だが昔はありませんでした。
【内濠越しの土橋の石垣】
【明丸】
現在は動物園になている。




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