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城名 田中城(別名:亀甲城、亀井城、徳之一色城)
住所 〒426-0012
静岡県藤枝市田中3丁目14番1号
入場時間 史跡田中城下屋敷
御前9時〜午後5時
定休日:月曜、祝休日の翌日、
    年始年末(12/28〜1/4)
    臨時休業日
入場料 無料
指定文化財 なし
城郭構造 輪郭式平城
天守構造 2層2階
築城主 今川氏
築城年 天文6年(1537)
主な改修者 馬場信房、酒井忠利
主な城主 今川氏、一色氏、武田氏、本多氏
位置 北緯34度52分19.22秒
東経138度16分28.57秒
地図 本丸跡
三日月堀跡
大手二之堀跡
三之堀
田中城下屋敷
【概要】
田中城は、今から500年ほど前、この地の豪族・一色氏が今川氏の名を受けて、その屋敷拡大して城としたのがその始まりだと言われています。その後、武田氏の手に落ち、さらに江戸時代になってから四之堀が増設されて、直径およそ600mの全国的にも珍しい同心円形をした城が出来上がりました。現在、市立西益津小学校が建っている場所がかつての本丸で、江戸時代には4万石程度の譜代大名が城主となって、志太平野の村々村を治めていました。しかし、明治維新によって、田中城は廃城となり、城跡も民間に払い下げられました。
田中城の南東隅にあたるこの下屋敷跡は、一色氏やその後裔の古沢氏の屋敷跡だとも伝えられています。しかし、江戸時代後期には城主の下屋敷(別荘)が置かれ、築山・泉水・茶屋等を設けて四季の景色を楽しんだとも言われています。
平成4年度から8年度にかけて、下屋敷跡の庭園を復元するとともに、田中城ゆかりのある当時の建物をここに移築・復元しました。

※史跡田中嬢下屋敷パンフレットより

この田中城は家康の死の原因とも言われている鯛の天麩羅を食した場所だと言われています。

【感想】
本丸を中心に市街地を歩いてみると道が曲がっていて元の場所にたどり着ける場所があるのでこの城が円形だということが今でも体感することができます。
遺構も結構残っており、遺構に沿って歩いてみると良いでしょう。

登城日 2012年4月15日(日)
LINK 史跡田中城下屋敷(藤枝市)
田中城-Wikipedia
城主家紋 【赤鳥】
今川氏家紋
【割菱】
(清和源氏義光流)
甲斐武田氏家紋

                      

探訪

※説明板の絵図より

※現地説明板より復元図
【下屋敷内土塁】 【下屋敷内茶室】 【本丸櫓】
田中城の本丸にあったとされる櫓。本丸の南東隅の石垣上に「御亭(おちん)」と呼ばれる2階建ての建物がこれに該当するものともののようです。
【本丸櫓】 【馬場・馬見所跡】 【作事役所跡】
【三日月堀】(丸馬出) 【本丸跡】
現在は西益津小学校になっている。
【本丸跡碑と田中嬢模型】
西増津小学校内に田中嬢の模型があります。
【大手二之堀跡碑】 【大手二之堀跡】 【三之堀跡】
【三之堀跡】 【武家屋敷・石垣跡】 【三之堀・土塁跡】
【三之堀・土塁跡】 【三之堀・土塁跡】




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