城名 小牧山城(別名:小牧城)
住所 〒485-0046
愛知県小牧市堀の内1-1
入場時間 れきしるこまき/小牧市歴史館
午前9時〜午後5時(入場は午後4時30分まで)
定休日:第三木曜日
    年始年末(12/29〜1/3)
入場料 一般:100円、団体30人以上:60円、中学生以下は無料
指定文化財 国指定史跡(小牧山)
城郭構造 平山城
天守構造 不明
築城主 織田信長
築城年 永禄6年(1563)
主な改修者 織田信雄・徳川家康
主な城主 織田氏
位置 北緯35度17分32秒
東経136度54分48秒
【概要】
永禄6年(1563)織田信長は小牧山に築城し、清須から居城を移しました。小牧山が城として利用されるのはこの時が初めてです。南に大手口を設け、大手道は直線的に中腹まで登り、右に折れて屈曲しながらも山頂の主郭に至ります。小牧山の南の原野には東西1km、南北1.4kmの範囲に城下町が整備されました。

小牧山城に移った信長は、犬山方面を支配下に置き尾張を統一するとともに、積極的に美濃攻略を行いました。4年後の永禄10年には、美濃稲葉山城を攻略して、岐阜と名を改め居城を移しました。これにより小牧山城は廃城となり、城下町は一部を残して衰えました。

天正12年(1584)、小牧・長久手の合戦が起こると、徳川家康と織田信雄の軍勢は、信長の城跡に大規模な改修を行い。堅固な陣城を築きました。山麓を取りまく二重の土塁や堀、虎口などは、このとき築かれたものです。小牧付近では大規模な合戦は起こらず、戦の収束に伴い小牧山城は再び廃城となります。現在、小牧山に残る城の遺構はこの時の小牧城の姿です。

江戸時代には尾張藩、明治時代には尾張徳川家の手厚い保護を受け、山中の堀や土塁などの残存状況は非常に良好で、日本の城郭史上、貴重な資料となっています。

昭和2年(1927)の国の史跡指定を契機として、昭和5年には徳川家から小牧町(当時)へ寄贈され、現在は、主郭部分には小牧市歴史館が建てられています。


【感想】
思っていた以上に遺構があり興味深く見ることができました。ただ場所を示す表記が少ないのと、公園化しているため本来の登城道がよくわからなくなっています。
大手道を見たときはこれが安土城の布石だったのかなと思うような構造になっています。そして道三が生きていれば小牧山城はより発展したことと思います。


100名城
スタンプ
スタンプ
設置場所
小牧市歴史館
登城日 一回目:2013年4月28日(日)
二回目:2019年9月16日(月)
LINK 平成25年信長公-小牧山築城450年公式HP
小牧市HP-小牧市歴史館
城主家紋 【織田木瓜】
織田氏家紋

                      

探訪

※案内板より(加筆有り)
【小牧山城遠景】
小牧駅より西にまっすぐ進むとこの景色が見られる。
【合瀬川】
小牧山城の堀の役目を果たしていた。
【山北橋口】
【土塁】
信雄・家康が小牧・長久手の戦いの際に築いた土塁。
信長の時には帯曲輪は曲輪ごとに堀で区切られていた。
【土塁】 【土塁】
【帯曲輪】 【帯曲輪】 【織田信長公居館跡】
【織田信長公居館跡内側土塁】 【小牧山模型】 【織田信長公居館跡】
【御幸橋口枡形虎口跡】 【土塁上】 【織田信長公居館跡北側土塁】
帯曲輪の区切りとなっている土塁
【織田信長公居館跡北側土塁と堀跡】 【織田信長公居館跡北側土塁と堀跡】 【土塁】
【織田信長公居館北西隅土塁】 【史跡公園南口】
公園造成時に造られた入口
【城南側の横堀】
【れきしるこまき】 【南側二重土塁と堀】 【南側二重土塁と堀】
【南側二重土塁】 【南側二重土塁と説明板】 【大手道跡】
【尾張徳川家九代藩主徳川宗睦源明公墓碑】 【大手道跡】 【南側二重土塁と堀】
【曲輪跡】 【南側二重土塁と堀の説明板】 【南側二重土塁と堀】
【桜の馬場】 【大手道横の竪堀】 【曲輪跡】
【虎口跡と堀】 【虎口説明板】 【虎口跡】
【曲輪跡】 【虎口】 【発掘で出てきた裏込石】
【主郭石垣と転落石】 【主郭石垣】 【主郭石垣の転落石】
【主郭石垣】 【主郭石垣】 【主郭石垣】
【主郭石垣と転落石】 【小牧市歴史館】 【小牧市歴史館】
【主郭跡碑と説明】 【像の下の花崗岩巨石】
花崗岩は小牧山で産出する石ではなく、ここから約2.5km北東にある岩崎山から運ばれてきたと考えられる。信長の築城時に主郭の入口に当たる位置に据えられたもので鏡石の役割を果たした石と言えるかもしれません。
【徳川義親氏之像】
【小牧市歴史館】 【小牧空港方面眺望】 【名古屋市内方面眺望】
【山の岩盤に築いた石垣】 【搦手口】 【搦手口】
【帯曲輪の井戸跡】 【帯曲輪の井戸跡】 【土塁断面展示施設】




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