powered by 地図Z | 城名 | 楽田城 | ||
住所 | 〒484-0858 愛知県犬山市楽田城山 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | なし | |||
城郭構造 | 平城 | |||
天守構造 | 不明 館の上に望楼をのせたものがあった |
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築城主 | 織田久長 | |||
築城年 | 永正年間(1504-1521)) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 織田氏 | |||
位置 | 北緯35度19分41秒 東経136度57分1秒 |
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地図 | 1 | 楽田城址碑 | ||
2 | 天守台跡? | |||
3 | 小城跡 | |||
4 | 小城跡碑 | |||
5 | − | |||
【概要】 楽田城は、織田久長により永正年間(1504〜1521)に築城されたと伝えられます。 戦国時代末の儒学者小瀬甫庵の書いた「遺老物語」には、楽田城が急襲を受けた永禄元年(1558)の様子が書かれています。この時、城中に高さ二間余の垣を築き、その上に五間七間の矢倉を作り、中央に矢を立て並べた八畳敷の二階座敷を設けたとあります。天守は館の上に設けた望楼から始まったとされ、楽田城がその起源といわれています。 天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦時には、小牧山の徳川家康に対峙する羽柴秀吉の本陣とされましたが、合戦終結の講和条件により取り壊しとなりました。 楽田小学校の敷地は楽田城のあったところです。昭和54年に学校敷地が拡大されるまで土壇や堀の痕跡がありましたが、現在は当時の面影を残すものはありません。 (表示板より) 【感想】 名鉄小牧線「楽田」駅下車東側の道を道に沿って南下するとこの碑にたどり着きます。遺構らしきものといえば周囲に比べてやや高くなっているというところでしょうか。ネット上でいろいろ見ると楽田小学校の周囲を回るとその規模はわかるようです。また、この場所から程近いところに須賀神社があり、そこが小城跡とされています。 |
登城日 | 2013年4月28日(日) | ||
LINK | 楽田城-Wikipedia | |||
城主家紋 | 【織田木瓜】 織田氏家紋 |
【楽田小学校】 この敷地が楽田城後になる。 |
【楽田城址碑】 楽田小学校の北西一角に城址碑があるが、楽田小学校の拡張前には天守台(現在の校庭内)の上にあったそうです。 |
【楽田城址碑】 |