powered by 地図Z | 城名 | 明智城(別名:明智長山城、長山城) | ||
住所 | 〒509-0213 岐阜県可児市瀬田 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 市史跡 | |||
城郭構造 | 連郭山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 土岐明智二郎頼兼 | |||
築城年 | 康永元年(1342) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 明智氏 | |||
位置 | 北緯35度25分16.43秒 東経137度5分4.22秒 |
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地図 | 1 | 大手門 | ||
2 | 本丸跡 | |||
3 | 二ノ丸跡 | |||
4 | 西出丸跡 | |||
5 | 中ノ丸跡 | |||
【概要】 この地は康永元年(1342)から215年間明智氏の居城のあった所である。それは城といっても天守閣などの派手な建物はなく周囲に土塁や逆茂木を廻らした中世の典型的な山塞であった。 この城は弘治2年(1556)斎藤義竜に攻略され城兵諸兵壊滅したが歴史上有名な明智光秀は一門の再起を期してここから脱出、諸国流浪の後、織田信長に仕えて天賦の才を発揮、日ならずして近江丹波54万石の太守となる。 然しながら直情径行武断一辺倒の信長とは本質的に相容れぬものがあり遂に逆臣の汚名を着て非業の最期を遂ぐ郷党の英雄の末路痛恨の極みという外なし。 昭和59年11月 明知城址保存会、可児市観光協会 (城内表示板による) ※明智城はここの他に恵那市にもあり、どちらが明智光秀の出生の城か確固たる資料がないため不明である。 【感想】 明智光秀出生の城といわれている城の一つに来れました。場所は住宅街(団地)の上部にあるため団地内でグルグル回ることに。本来であれば大手道下より登場したほうがスムーズに回れると思います。 曲輪の形状も比較的良好に整備され、看板なども新しくされたようなのでとても見やすく良かったです。 |
登城日 | 2013年4月29日(月) | ||
LINK | 可児市観光協会-明智城 | |||
明智城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 土岐桔梗 (清和源氏頼光流) 土岐氏/明智氏家紋 |
※案内板 |
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【大手門】 | 【桔梗坂】 大手門から城内へと続く大手道 |
【中ノ丸(二ノ曲輪)跡】 |
【中ノ丸下の平場】 中の丸の先を除くと平場が見られた。ここも曲輪なのであろう。 |
【二ノ丸跡】 | 【七つ塚】 斉藤義龍に攻め込まれ落城した際に戦没した明智七武将を葬った塚と云われる |
【馬場跡】 | 【逆茂木】 | 【馬防柵】 |
【本丸(三ノ曲輪)跡】 | 【明智城址碑】 | 【本丸に設けられた展望台からの眺望】 |
【西出丸跡】 西出丸はこんもりとした丘状になっており、この向う側は削平されてしまい貯水池になっている。 |
【搦手曲輪跡】 間近に西出丸があり、曲輪のような大きさはない。搦手道の一部だと思われる。 |
【搦手口】 この写真左手が西出丸曲輪で、右が搦手曲輪の表記がある。すぐ柵なので搦手曲輪は疑わしい。 |