powered by 地図Z ※赤い線は登城経路を大体の位置で示しています。 | 城名 | 郡上八幡城(別名:積翠城、郡城、虞城) | ||
住所 | 〒501-4214 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平 |
|||
入場時間 | 3~5、9~10月:午前9時~午後5時 6~8月:午前8時~午後6時 11~2月:午前:9時~午後4時30分 休館日:年末年始(12/20~1/10) その他臨時休業する場合有り。 |
|||
入場料 | 大人:300円、小人:150円 | |||
指定文化財 | 県指定史跡 八幡町重要文化財 |
|||
城郭構造 | 山城 | |||
天守構造 | 4層5階模擬木造 | |||
築城主 | 遠藤盛数 | |||
築城年 | 永禄2年(1559) | |||
主な改修者 | 稲葉貞通、遠藤常友 | |||
主な城主 | 遠藤氏、稲葉氏、井上氏、金森氏、青山氏 | |||
位置 | 北緯35度45分11.82秒 東経136度57分41.23秒 |
|||
地図 | 1 | 天守 | ||
2 | 桜ノ丸 | |||
3 | 松ノ丸 | |||
4 | 本丸 | |||
5 | 二ノ丸 | |||
【沿革】 永禄2年(1599)遠藤盛数が東殿山の東氏を滅ぼし、八幡城を築きました。2代慶隆のとき、天下統一した秀吉の不興を買い(理由は本能寺編後、秀吉と敵対する織田信孝の傘下に属したため)、領地二万石を没収せられて加茂郡白川一万三千石に左遷され、稲葉貞通(稲葉一鉄の長男)が美濃国曽根城から八幡城に入部しました。貞通の時代に城郭を修築して天守台を設けて、現在の城の原型になったと伝えられる。 関ケ原の戦い直前、貞通は西軍に属していたため、遠藤慶隆は徳川家康に願い出て金森可重の援軍を受け八幡城を攻略し、貞通と和睦。和睦後、関ケ原の戦いが起こると貞通は東軍として参戦し、豊後臼杵五万石に移封されたため。八幡城には再び遠藤氏が入城した。 3代目城主の遠藤常友の時に幕府の許可を得て八幡城の大修築をなし、近郷の寺院を城下に集め「8家9宗」を形づくるなど城下を拡張整備した。その後常春が11歳で家督を継ぎましたが、28歳で病死し、常久が4歳で藩主となりました。その時にお家騒動が起こり、お家騒動のなか7歳で夭折し後嗣なく郡上領二万四千石は幕府に没収されました。 元禄5年(1692)、井上正任が常陸の笠間城主から郡上城主として入部しました。井上氏は郡上在城5年で、丹波亀山城主に移封されました。 元禄11年(1703)、金森頼旹(よりとき)がこれに代って封せられた。頼旹(よりとき)の政治姿勢は清貧で、領民に寛大であったと伝えられています。頼錦は、頼旹(とき)の孫にあたり、元文元年(1736)、23歳で家督を継ぎました。頼錦は、風雅を好み温和な性格で詩歌に親しむ文化人でした。しかし、宝暦8年金森頼錦の晩年になって失政のため農民困窮甚だしくついに金森騒動宝暦義民の一揆が起こり、そのため金森氏は御家断絶となりました。 宝暦8年(1758)、丹後国宮津藩主の青山幸道が代って郡上藩主となり八幡城下四万八千石を領することになった。その後藩政はよく治って7代111年間続き明治維新を迎えました。 明治4年(1871)の廃藩置県とともに廃城となった城は、翌年から石垣を残してすべて取りこわされました。現在の城は、昭和8年(1933)、当時の大垣城を参考に再建され、木造4層5階建の天守閣等は八幡町重要文化財に、一帯の城跡は県史跡に指定されています。 【感想】 城としての遺構は石垣くらいだが、山頂に建つ模擬天守は、木造再建城としては日本最古というだけあり郡上八幡の町すっかり溶け込んでいます。しかし、木造天守の床は現存する天守よりもギシギシと軋みちょっと怖いです。 見どころとしては城というよりも城下町を含んでみた方が楽しめます。 |
登城日 | 2013年4月30日(火) | ||
LINK | 郡上八幡城HP | |||
郡上八幡城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【亀甲に唐花】 (桓武平氏千葉氏流) 遠藤氏家紋 |
|||
【葉菊】 (藤原北家花山院流) 青山氏家紋 |
※案内板より(加筆有り) |
||
【大手門跡】 | 【金森・青山時代の城主下御殿跡】 |
【登城口】 |
【御蔵会所跡】 | 【金幣社 岸剱神社参道】 | 【二ノ丸跡】 岸剱神社・積翠神社の境内と境内下が二ノ丸跡になる。 |
【凌霜隊顕彰碑】 戊辰戦争の際、徳川譜代の青山藩は、尊皇と佐幕の両派に藩論が分かれ江戸では凌霜隊を組織して会津に向かわせた。鶴ヶ城では西出丸の防備を担当。落城後帰郷するが、藩の脱走兵として罪人の汚名を着せられた。そのため世人の目は冷たく多くの隊員はやむなく故郷を捨てて他に移住したそうです。その凌霜隊士の愛郷と団結の精神を偲びこの顕彰碑を建立した。 |
【岸剱神社】 | 【金森・青山時代の本丸跡】 現在は城山公園となている。 |
【土霊水(井戸)】 歴代城主が御殿を構えて日々の飲料水として使用した井戸。 |
【山内一豊と妻の像】 なぜここに山内一豊がって感じですが妻の千代が初代郡上八幡城主の遠藤盛数の娘ということからここに像を建立したそうです。だとしたら一豊はいらないと思うのですがね。これを見た人が一豊が城主だったと勘違いしそうです。 |
【山内一豊と妻の像】 ここから天守が見えます。 |
【旧本丸石垣】 | 【旧本丸虎口】 | 【旧本丸石垣と登城道】 |
【天守】 下にあるのは力石。 |
【天守と隅櫓】 | 【城門】 |
【桜ノ丸から見た天守】 | 【桜ノ丸の隅櫓】 | 【人柱となったおよしを祀っている祠】 |
【桜丸の城門(内側)】 | 【桜ノ丸】 | 【天守入口】 |
【郡上八幡城模型】 | 【鎧】 左から遠藤氏甲冑、井上氏甲冑、青山氏甲冑。 |
【天守から見た城下の眺望】 中央に長良川が流れる。 |
【桜丸の城門(外側)】 |
【松ノ丸の隅櫓】 | 【松ノ丸の隅櫓】 |
【松ノ丸から見た天守】 | 【松ノ丸】 | 【凌霜隊の碑】 |
【松ノ丸付近の虎口】 | 【松ノ丸付近の登城口】 | 【首洗い井戸跡】 慶長の合戦に際して討ち取った名のある武士の地や泥で汚れた首が洗い清められた場所。 |
- | - | |
【松ノ丸の石垣】 | - | - |
- | ||
ジャンル:うなぎ 店名:吉田屋 美濃錦 住所:岐阜県郡上市八幡町殿町160 TEL:0575-67-000 営業時間11:00~14:00、16:00~20:00 定休日:不定休 郡上八幡の宿 吉田屋さんが経営する鰻屋さん。 昼は観光客で満席状態でした。 注文したのはうな重(\2,950-)で、うなぎ一本半入っています。うなぎは上に乗っているだけでなく中にも入ってました。身はふっくら、皮はパリッとなっていて香ばしく美味しかったです。 この他にちょとしたデザートもつきます。 |