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城名 垂井城
住所 岐阜県不破郡垂井町1349(専精寺)
入場時間
入場料
指定文化財 なし
城郭構造 不明
天守構造 不明
築城主 不明
築城年 不明
主な改修者
主な城主 平塚為広
位置 北緯35度22分12秒
東経136度31分30秒
地図 垂井城跡碑(専精寺の駐車場脇)
垂井の泉
【概要】
ここは、関ケ原合戦に活躍した西軍の武将平塚為広の居城跡といわれています。
平塚為広は、豊臣秀吉に仕え、一万二千石の垂井城主となりました。大谷吉継と西軍に属し、伏見城の戦い、大垣城の譲渡交渉などに活躍し、決選当日には、病気の吉継にかわり、大谷隊を指揮しました。小早川秀秋が西軍を裏切り大谷隊へ攻めかけると、為広は大長刀を振り回し、小早川隊を再三追い返しましたが力尽き、山内の家臣樫井太兵衛に討たれました。
敗軍の中、辞世の歌を大谷吉継に送っています。
 「名の為に 捨てつる命は おしからじ ついにとまらぬ 浮世と思えば」
(説明板より)

【感想】
遺構はないもなくあくまでもこの場所は推定地らしいです。すぐそばには岐阜県指定史跡、名水50選の『垂井の泉』があります。飲み水も豊富で城跡の専精寺は小高い丘の上にあるので周囲を見渡すにはよい場所だったのではないでしょうか。
また、関ケ原合戦時義将・大谷吉継を補佐していた平塚為広の居城に来れたことは感慨深いものがありました。


登城日 2013年5月2日(木)
LINK 大垣地域ポータブルサイト西美濃
普門山 専精寺HP
城主家紋 【亀甲に梅鉢】
平塚氏家紋

                      

探訪
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