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※赤い線は、登城した経路を大まかに示しています。
城名 竹中陣屋(別名:竹中氏陣屋、岩手城、岩手陣屋)
住所 〒503-2107
岐阜県不破郡垂井町岩手619-2
入場時間 菁莪(せいが)記念館
開館:午後2時から
休館日:月・火曜日

管理は岩手公民館の主事さんが鍵を所有しているため、事前に予約が無難。
電話予約(TEL:0584-22-1007)
入場料 無料
指定文化財 県指定史跡
城郭構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 竹中重門
築城年 天正16年(1588)
主な改修者
主な城主 竹中氏
位置 北緯35度23分9秒
東経136度30分00秒
地図 水堀
櫓門
石垣と土塁
菁莪(せいが)記念館
【概要】
天正16年(1588)、豊臣秀吉の軍師として名高い竹中半兵衛重治の子・竹中重門は、竹中氏累代の居城・菩提山城が平時には不便なことからそれを廃して、山麓に陣屋を構えた。
この陣屋は敷地を囲む大規模な水堀や石垣があり、世に言う陣屋というよりも小型の城と言った方が正しいかもしれない。

慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦には、旧知の黒田長政軍に陣借し東軍方として参戦。菩提山城を徳川家康に差し出し、伊吹山中で、西軍の有力武将小西行長を捕らえるなどの功を挙げ、家康から感状を得る。戦後、本領六千石を安堵された。

また、関ヶ原の戦いは竹中氏の領地も戦場となったことなどから、家康より供養料として一千石の米を下賜され、この一千石で築かれた外堀は「千石堀」と呼ばれている。
以後、竹中氏は石高から身分は旗本ながらも、交代寄合として大名と同じく参勤交代を命じられ、12代続いて明治に至った。

【感想】
やっと軍師・竹中半兵衛の像と巡り合えたことに感動。実際には竹中陣屋とは関係がないとはいえですが。
遺構として堀や石垣そして陣屋にしては立派な櫓門が素晴らしい。門をくぐると岩手保育園・岩手小学校の敷地となっているがこの門をくぐって通ってるとは羨ましい限りです。


登城日 2013年5月2日(木)
LINK 竹中氏陣屋-Wikipedia
城主家紋 【九枚笹】
(清和源氏土岐氏流)
竹中氏家紋

                      

探訪
【堀】 【竹中半兵衛の像】
直接半兵衛はこの陣屋に関係はない。建てたのは息子の重門。
【竹中半兵衛の像と櫓門】
【櫓門(表)】 【櫓門(裏)】 【櫓門入口】
壁が剥がれ落ちてしまっているのが残念。
【櫓門右側の石垣】 【竹中氏陣屋跡】
現在は岩手小学校と岩手幼稚園になっている。
【菁莪(せいが)記念館】
竹中氏の資料館になってる。元は竹中氏の道場。




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