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※赤い線は登城経路を大体の位置で示していますが正直ここはまったくもって適当です。
城名 菩提山城(別名:岩手山城)
住所 〒503-2107
岐阜県不破郡垂井町岩手
入場時間
入場料
指定文化財 県指定史跡
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 岩手頼重か?
築城年 不明
主な改修者 竹中重元
主な城主 岩手氏、竹中氏
位置 北緯35度23分29秒
東経136度29分17秒
地図 本丸
二ノ丸
西曲輪
三ノ丸
出曲輪
【概要】
戦国乱世の頃、岩手氏(岩手弾正左衛門頼重)は、この菩提山に本拠をおき、近江と美濃の間に勢力を張っていた。

永禄元年(1558)竹中遠江守重元は、現在の揖斐郡大野町にいたが、岩手弾正を攻略し、翌2年(1559)ここに城を築き、 現在大垣市の福田・長松と岩手付近一帯を領し六千石の領主となった。
戦国時代の軍師として知られた竹中半兵衛重治は重元の子で、永禄3年(1560)に重元が没するとこの城の城主となった。重治は、織田信長・ 豊臣秀吉に仕え重用されたが、天正7年(1579)播州三木城攻めの陣中で病死した。

半兵衛の嫡男・重門は、関ヶ原の合戦では東軍に属し、旧好の黒田長政と共に石田勢を攻め戦功をあげた。戦後は、六千石の交代寄合旗本となって菩提山城を廃し、麓の岩手陣屋を整備して居を移した。

【感想】
念願の半兵衛の居城にお邪魔することができました。垂井駅から徒歩で4,50分歩いた後にこの山城ですから正直疲れますが、城跡の番所跡が見えてからはもうその疲れは吹っ飛び見どころ満載の城でした。特に本丸の虎口に当たる場所には馬出になっているなんってここだけではないでしょうか。
最後は禅幢寺で半兵衛の墓にお参りして感無量といったところでした。
禅幢寺で半兵衛の手拭いをゲットできなかったのは残念でしたけど。


登城日 2013年5月2日(木)
LINK 岐阜県垂井町観光ガイド
城主家紋 【九枚笹】
(清和源氏土岐氏流)
竹中氏家紋

                      

探訪

※菁莪(せいが)記念館前にある観光案内板より(大手道を加筆)

※本丸の菩提山城説明板より(図面加工+加筆有り)
【五明稲荷説明板】 【長寿丸(のちの黒田長政)お手植えの銀杏】 【五明稲荷・祠】
【菩提山城登城口】 【白山神社の鳥居】 【白山神社・拝殿】
【菩提山寺入口】 【白山神社・本殿】 【菩提山城登城路】
【登城路】 【登城路】
突然開けたと思ったら、この整備された道はこの先にある送電線のメンテ用に作られた道のようです。この整備された道でもこの先に行けますが、やはり階段で登ります。
【登城路】
菩提山の尾根に沿って登っていきます。
【登城路・分岐点】
さっきの整備された道はこの鉄塔のためです。この近くまで道が続いてました。
左手上に進めば菩提山城跡へ、右手はハイキングコースになっていて明神湖まで続きます。その途中で曲がると大手道を下ることができます。
【登城道(大手道)】
竪堀の堀底道を進む感じです。
【登城道(大手道)】
ときには木々の間を抜けて上がっていきます。
【大手曲輪(番所跡)】
この場所で菩提山城内に入出を監視していた。
【三ノ丸・虎口】 【三ノ丸】
【堀切】
三ノ丸と出丸との間の城内最大の堀切。
三ノ丸と出丸の行き来には跳ね橋が設けられていた。
【堀切】 【堀切】
堀切の先(撮影している背後)は竪堀につながっており、その途中左側には腰曲輪がある。
【堀切】 【出曲輪西側の腰曲輪】 【出曲輪西側の腰曲輪の奥(出丸下)の二重竪堀】
【出曲輪跡】 【二重堀切と二重の畝?】
出曲輪南側(菩提山城南西)に二重堀切があり、その真ん中には2つの畝がある。
【出曲輪南側の腰曲輪】
【出曲輪南側の腰曲輪の大土塁】 【三ノ丸から台所曲輪へ登城路】 【台所曲輪虎口】
【台所曲輪】 【西曲輪】 【西曲輪の横堀】
本丸下の築かれた横堀で西曲輪の東側にある。
【西曲輪の西側斜面】 【西曲輪の物見台】 【二ノ丸】
【馬出(本丸虎口部分)】
本丸と二ノ丸の間に築かれた馬出、両側の土橋から本丸に出入りする。
【馬出】
正面より。
【馬出の空堀】
空堀内に切った木材が転がっていて非常に見にくいです。
【本丸】 【本丸からの眺望】
無料の望遠鏡があります
【本丸北東下の腰曲輪】
【大手道】
菩提山城への登城途中にあった分岐点をハイキングコース(明神湖方面)側を進んで行くと、途中で禅幢寺との分岐点があるので禅幢寺へ向かっていくと大手道と書かれている表示がある。
【大手道】 【大手口】
ここから登ると多分道がわからなくなると思うため、ここから登るのはお奨めしない。
【八幡神社】 【菩提山城跡大手口】
ここから1,950mとのこと。
【八幡神社の鳥居】
【竹中氏菩提寺 禅幢寺説明板】
ここに竹中重治の墓と関ケ原合戦で敗れた小西行長の墓があります。
【禅幢寺】 【竹中氏の墓】
左:竹中重治(半兵衛)の墓、中:小さな五輪の塔はその妻の墓、右:重治の子・竹中重門の墓。




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