城名 松任城(別名:一名蕪城、鏑木城)
住所 〒924-0872
石川県白山市古城町42番地
入場時間
入場料
指定文化財 小松市指定文化財
城郭構造 連郭式平城
天守構造 不明
築城主 松任範光
築城年 鎌倉時代初期
主な改修者 前田利長
主な城主 松任氏、鏑木氏、前田氏
位置 北緯36度31分30.04秒
東経136度33分57.21秒
地図 本丸跡
櫓跡
【概要】
松任城は、JR松任駅南の古城町を中心に殿町、西新町にまたがってあったといわれ、平安時代末期に、当地を支配していた松任氏の館として成立し、後に一向一揆の旗本である「松任組」の本拠地として城砦の形が整えられてきました。

天正5年(1577)に上洛を目指す上杉謙信に攻撃を受けますが、その時の城主・鏑木頼信が和睦にまで持ち込んだといわれています。これは、松任城の南約6kmの水島付近に、七尾城を目指す織田軍が既に陣を構えていたからでしょう。しかし、織田軍は謙信が七尾城を攻略したと知らせを受けるやいなや、夜半に退去し始めます。手取川は数日来の雨で氾濫しており、謙信はこの機を逃さず松任城より水島へ兵を進めます。この手取川の戦いは、謙信と信長の最初の戦いとして有名です。

この松任城も天正8年(1580)織田軍の柴田勝家により落城し、鳥越城主・鈴木出羽守までもが、この城に呼び出され謀殺されてしまいます。日本史上類例のない100年の長きにわたり続いた百姓の持ちたる国は、ついに終焉を迎え、その後、織田方の城として、加賀藩二代藩主となった前田利長が3年間、丹羽長重が11年間在城し、この頃に平城として整えられました。しかし、松任4万石として栄え、手取扇状地の中心であった松任城は、江戸幕府の一国一城政策により、慶長19年(1614)頃に廃城になりました。
(城内説明板より)


【感想】
おかりや公園から松任城址公園と整備され、説明板も設置されたため松任城のことが以前よりわかるようになってました。公園隅の小高い部分には櫓跡があったりしますが、本来の姿ではないでしょう。


登城日 2014年1月12日(日)
LINK  白山市ホームページ〜松任城址公園〜
松任城-Wikipedia
城主家紋 【六曜星紋】
松任氏家紋
【梅 鉢】
(称菅家流)
前田氏家紋

                      

探訪

※説明板より
【本丸跡】
現在は松任城址公園(旧おかりや公園)になっている。
【説明板】 【櫓跡】
本丸の隅に小高くなった場所がありそこが櫓跡になる。
【松任城本丸跡碑跡】 【松任城年表】 【堀と橋を模している虎口】
公園内はバリヤフリー化されている。




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