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城名 | 横須賀城(別名:松尾城、両頭城) | ||
住所 | 〒437-1304 静岡県掛川市西大渕 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 国指定史跡 | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | 不明、3重4階 | |||
築城主 | 大須賀康高 | |||
築城年 | 天正6年(1578) | |||
主な改修者 | 大須賀忠政、井上正利 | |||
主な城主 | 大須賀氏、渡瀬繁詮、西尾氏他 | |||
位置 | 北緯34度41分8.46秒 東経137度58分17.64秒 |
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地図 | 1 | 本丸 | ||
2 | 二ノ丸 | |||
3 | 三ノ丸 | |||
4 | 西ノ丸 | |||
5 | 北ノ丸 | |||
【歴史】 横須賀城は戦国時代末期、天正6年〜8年(1578-1580)にかけて、徳川家康の家臣大須賀康高によって築かれた城であり、当初は約6km東に存在する武田方の高天神城を攻めるための軍事拠点として使用されました。 天正9年に高天神城が落城すると、江戸時代にかけて、城は近隣支配の拠点となりました。 城主は築城者の大須賀氏の後、渡瀬氏、有馬氏、再び大須賀氏、松平氏、井上氏、本田氏と続き、天和2年(1682)からは、西尾氏8代が城主となりました。(城主は八家二十代) 明治2年(1869)の廃城後は、城に関する土地や建物などが民間に払い下げられ、横須賀城はその姿を消しましたが、昭和56年(1981)5月8日、国の史跡に指定されています。 横須賀城葉の特徴は、 (1)中世城郭と近世城郭の二つの構造を持っている平山城であること (2)大手門が東西二ヶ所にあること。このことから「両頭の城(両頭城)」とも呼ばれています。 (3)宝永地震(1707)までは、城内に船着場があったこと。 (4)河原石(天竜川の石)だけの石垣が見られること。 があげられます。 (※城内説明板の説明に加筆) 【感想】 JR袋井駅よりバスに乗り約40分、最寄りバス停の「七軒町」で下車し、城址を目指しますがバス停には城址案内の指標も何もないので地図で確認し、東へと進みました。すると道の左側一面にコスモス畑が広がり綺麗だなと思い写真を撮っているとそこは既に城址内でコスモス畑は南外堀後でした。その場所には石大手門跡もあり、テンションがあがり、外堀跡歩き進むと本当に東西に長い城だということが実感出来ます。 横須賀城といえば玉石垣ですが、その箇所は城の主要部のみでした。主要部の下の方から見ると見慣れている石垣とは違い存在感があります。 また、この城玉石垣だけではなく北側には松尾山という曲輪を持ちその北側から西方面へ続く長い空堀が配置されており、防御面でも優れてた城だということが実感出来ました。 |
登城日 | 2014年9月14日(日) | ||
LINK | 掛川市観光情報公式サイト-横須賀城- | |||
Wikipedia〜横須賀城〜 | ||||
城主家紋 | 【七 曜】 (桓武平氏千葉氏流) 大須賀氏家紋 |
※遠州横須賀城図(加筆あり) |
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【西大手門跡】 民家の生け垣が枡形の様になっているのがまた良い。 |
【西櫓跡】 西大手門のすぐ東隣りにあった櫓 |
【南外堀跡】 この南側を通る県道が中土居道と呼ばれる土塁であった。その更に南側が宝永大地震までは入江となっていた場所である。 |
【二ノ丸御殿池跡-南端部分出土地点】 玉石垣で造られた二の丸御殿の池跡 |
【二ノ丸跡】 城主が暮らしていた二ノ丸御殿のあった場所 |
【駐車場から見た西ノ丸西斜面】 この場所に登城道があり、普段城主が二ノ丸御殿から西ノ丸へ上がるときに通る登り口跡です。 |
【門跡】 西門(仮称)とする。 |
【門跡・復元石敷】 | 【西ノ丸下の曲輪】 |
【西ノ丸跡】 | 【玉石垣】 この玉石垣で囲まれた箇所が本丸へ行くための表側となるのであろう。 |
【玉石垣】 撮影場所は既に本丸南下一之門(仮称)内で、正面の石段上には本丸南下二之門(仮称)があり、この部分は枡形になっている。 |
【暗渠(水抜き穴)】 本丸南下二之門の右脇にあるかなり大きいな暗渠で石垣が崩れないようここから水を排出していた。今は危険なので石で塞いでいる。 |
【本丸の玉石垣】 | 【本丸南下二之門(仮称)跡】 横須賀城で最も規模が大きかった櫓門があった。 |
【本丸南下二之門(仮称)上の曲輪】 ここから奥の石段で西ノ丸へ、手前の石段で本丸へと上がれる。 |
【本丸跡】 | 【横須賀城模型】 一度修復をしたそうだが、再度破壊され見るも無残な状態である。 |
【天守台跡】 | 【天守台跡】 | 【天守台跡】 ここに3重4階の天守があった。 |
【横須賀城址碑】 | 【本丸跡土坑群】 | 【本丸北側の土塁】 当時の絵図を見るとこの土塁の上には白壁の塀があった。 |
【本丸南面玉石垣と玉砂利敷遺構】 この囲まれた場所には嘗て建屋があり、黒色の玉砂利が引き詰められた箇所は土間ではないかと考えられるそうです。現在遺構は地下に埋め保存し、表面表示をしている。 |
【三日月池】 当時の堀で現在残っているのはこの堀のみで、この城の初期からあった内堀の名残といわれている。 |
【お姫様の祠】 いつのお姫様かは定かではないようだが、地元の人たちに今も祀られている。 |
【北ノ丸跡】 数棟の建物が建っていた所で、武器倉跡といわれる。また城主の側室が住んでいた時期もあったことが記録に残っている。 |
【北ノ丸から見た本丸】 南面は玉石垣で造られていたが、北側は土である。 |
【北ノ丸から見た松尾山】 |
【北ノ丸建物跡石列遺構】 | 【地覆石溝状石列遺構】 | 【溝状石列遺構】 |
【松尾山登り口】 | 【松尾山頂上】 城郭の一番東にあたり、築城当時はこの付近が本丸ではなかったかと言われている。 |
【松尾山より見た北ノ丸・本丸】 |
【松尾山建物跡】 横須賀城東端のから堀井接した重要場部分で、この箇所には多門櫓があった。 |
【松尾山建物跡】 | 【松尾山下北側堀跡】 |
【松尾山下西側堀跡】 | 【たたき製防火水槽】 米倉跡に置かれており、当時は板の蓋があった。側面にある菱形マークは城主西尾氏の火消し紋。 |
【米倉跡】 駐車場の北側に位置する。 |
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【北外堀跡(裏掘)】 | 【三ノ丸跡】 11代城主井上正利によって築かれた。絵図では東南隅に太鼓櫓、西側に牛池、東には東外堀があり、その中におよそ5棟の建物が確認できる。 東大手門跡もここまで来る際に通ってきたのだが、標柱があるのを気が付きませんでした。 |
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ジャンル:パン 店名:株式会社鶴田屋本舗「パンの郷」本店 住所:静岡県掛川市山崎63(旧大須賀町) TEL:0537-48-2136 営業時間:9:30〜18:00 定休日:年中無休 バス停「七軒町」のすぐ近くにあるパン屋さん。お店には、「秘密のケンミンSHOW」で紹介された”浜松餃子パン”が売られてましたよ。 また、パンの食べ放題もやっているようです。 ここでパンを買って、本丸で食べるのも良いかもしれませんね。自分は帰り際、バス待ちの間に食べましたw ※ごみは持ち帰ってね。 |