城名 金ヶ崎城
住所 〒914-0072
福井県敦賀市金ヶ崎町
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 平通盛
築城年 不明
主な改修者 朝倉氏
主な城主 氣比氏、甲斐氏、朝倉氏
位置 北緯35度39分57.9秒
東経136度4分27.0秒
地図 月見御殿跡
一の城戸
二の城戸
焼き米出土地
三の城戸
【概要】
金ヶ崎城は「太平記」に「かの城の有様、三方は海によって岸高く、巌なめらかなり」とあり、この城が天然の要害の地であったことが分かる。
南北朝時代の延元元年(1336)10月後醍醐天皇の命を受けた新田義貞が尊良親王・恒良親王を奉じて当時気比氏治の居城であったここ金ヶ崎に入城、約半年間足利勢と戦い翌2年3月6日遂に落城、尊良親王、新田義顕(義貞嫡子)行か将士300余名が亡くなったと伝えられる。

戦国時代の元亀元年(1570)4月には、織田信長が朝倉義景討伐の軍を起こして徳川家康、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)等が敦賀に進軍、天筒山城、金ヶ崎城を落とし越前に攻め入ろうとした時、近江浅井氏が朝倉氏に味方するとの報告、信長は朝倉氏と浅井氏との間に挟まれ窮地に陥り急遽総退却、この時、金ヶ崎城に残り殿を務めてこの難関を救ったのが秀吉で、その活躍で無事帰京出来たと伝えられる。また、この殿での危機を救ったのは家康で、後の天正14年(1586)家康上洛に当たり、秀吉は金ヶ崎での戦いの救援に謝意を表したとされている。既に15,6年前のことで、天下人にいっぽ近づいた秀吉からすると、金ヶ崎の戦いはその後の二人の関係に大きな影響を与えたと言える。

現在は、3つの城戸跡などを残し、急峻な斜面は当時の面影を偲ばせる。また、最高地(86m)を月見御殿といい、近くには金ヶ崎戦場碑があり、この辺り一帯の平地が本丸跡と言われる。ここからの眺めは素晴らしく天候が良ければ越前海岸まで望むことができる。
「金崎宮の説明板」による


【感想】
天筒山城から稜線沿いに歩いて行けます。主郭の月見御殿跡まで行くと、断崖絶壁の上にあることがよく分かり北側からの攻撃はまずないと言っていいほどの要害である。ただ天筒山城からは城内が丸見え出会ったであろうことから信長が先に天筒山城を攻め落とし稜線にそって金ヶ崎城に攻め寄せたのがよく分かる。
また、敦賀の地形的に海と山に囲まれているため北から朝倉勢、南から浅井勢が攻め寄せてくるとまさに袋のネズミを体現できます。


登城日 2015年4月30日(木)
LINK  漫遊敦賀-金ヶ崎城跡-
金ヶ崎城-Wikipedia-
城主家紋 【三つ盛木瓜】
(日下部氏流)
朝倉氏家紋

                      

探訪

※金ヶ崎城跡案内図より(加筆あり)
【一の木戸(城戸)跡と堀切】
天筒山城址から金ヶ崎城址へ移動の尾根上にある。
【一の木戸(城戸)跡と堀切】 【二の木戸(城戸)跡手前の堀切】
【二の木戸(城戸)跡手前の堀切】 【二の木戸(城戸)跡】 【焼米出土地】
戦国時代ここに兵糧庫があり、織田朝倉の攻防時に焼けたものと思われる。
【兵糧庫跡】 【三の木戸(城戸)跡と堀切】 【三の木戸(城戸)跡と堀切】
【三の木戸付近の堀切】 【主郭】 【金ヶ崎古戦場跡碑】
【古墳】
明治42年6月に発見された円墳で、竪穴式石室を有し、副葬品は直刀一振、銅鏡一面が出土している。
【主郭】 【月見御殿跡】
【月見殿跡から見た主郭】 【月見御殿跡碑】 【月見御殿跡下にある工場】
【月見御殿跡から見た「絹掛の松」】
南北朝の昔(1337年)金ヶ崎城は落城したが直前に皇太子恒良親王(当時15歳)は蕪木浦(現在の越前町)にご避難された。その際御衣を脱ぎ岩の松の枝に掛けられ、小舟に乗り移ったと伝えられ、その松を「絹掛松」と言われ、前方の岩付近を絹掛崎と呼んでいる。
【月見御殿眼下】
金ヶ崎城の北側は断崖絶壁の天然の要害だったということがよく分かる。
【主郭】
【尊良親王御墓所見込地】 【尊良親王御墓所見込地碑】
京都の永観堂に同親王の御墓所が指定されているため、現在では親王御台臨、自刃の地として大切に保存されている。
【鴎ヶ崎上の案内図】
【鴎ヶ崎】 【金崎宮付近より見た敦賀市内】
ここから見るとこの場所が海と山に囲まれており、袋のネズミの例えを実感することができる。
【金ヶ崎城址碑】
観光〜金ヶ崎宮〜
【金ヶ崎城説明板】 【金崎宮鳥居】 【お守りなど】
織田信長、朝倉攻めの折り妹お市の方は浅井・朝倉両軍に挟まれ窮地に陥ったことを知らせるため、両方を紐で結んだ袋に小豆を入れ陣中に届けたという。この2ヶ月後、信長は近江姉川にて浅井、朝倉軍を破る。
今は大変厳しい状況にあってもここを乗り越えれば未来があると言うお守りが売られています。
【金崎宮境内】 【拝殿】 【本殿】
【金ヶ崎城・天筒山城模型】 【金ヶ崎城・天筒山城模型】




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