城名 後瀬山城
住所 〒917-0054
福井県小浜市伏原など
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 山城
天守構造 不明(改修時に天守造営か?)
築城主 武田元明
築城年 大永2年(1522)
主な改修者 丹羽長秀
主な城主 若狭武田氏、丹羽長秀、浅野長政、木下勝俊、京極氏
位置 北緯35度29分24秒
東経135度44分28秒
地図 主郭
山上御殿跡
主郭虎口
守護居館跡
【歴史】
古には万葉集にも詠われた後瀬山。古くから小浜に住む人々、また小浜を訪れる人々に憩いをもたらす山として存在しています。この後瀬山に戦国の世に叶った山城が築城されたのは、大永2年(1522)のことです。当時の若狭守護武田元光は、既に全国的にも飛躍をみせ、海外貿易をも視野に入れた小浜湊を望み、山麓に貫通する丹後街道を掌握する要衝の地にこの城の縄張りを行います。

後瀬山城は標高168mの位置に石垣を配する主郭を置き、ここから山麓の現空印寺の位置にあった居館に通じる北側稜線と、本登山道に平行する東側稜線に大小合わせて139ヶ所の曲輪と呼ばれる平場の防御施設を設けています。これら2本の稜線に造られる曲輪をつなぐ道路が北東谷間に幾本もみられ「谷の横道」と呼ばれています。また、北側稜線の先端には、畝状竪堀・竪堀などを設け、防御を固めています。このことは、丹後国守護一色氏と度々戦火を交えた若狭武田氏が、西の小浜の入口(青井口)の防御を強く意識していることを想定させます。

城主は、築城した若狭武田氏5代 元光から、6代 信豊、7代 義統、八代 元明へと
継承され、若狭武田氏滅亡後は、織豊系武将の丹羽長秀、浅野長政、木下勝俊が相次いで入城し、若狭国を統治する拠点として存続します。そして関ヶ原合戦後に入国する京極高次により後瀬山城は廃城となり、新しく築城が開始される近世小浜城にその役目が引き継がれることとなります。

発掘調査が実施された主郭北西に位置する曲輪では、礎石建物跡とこれに付属する築山、そして多くの茶器類が検出されています。京都や当地において旺盛な文芸活動をみせた若狭武田氏の一端を示す調査例といえるでしょう。

現在地(愛宕神社参道入口)からの登山道は、廃城後に主郭に創建された愛宕神社の参詣道を利用し、歴史と自然を体感できるように遊歩道整備をしています。
(愛宕神社参道入口の説明板より)

【感想】
現在の登城口である愛宕神社参道入口から主郭までは一本道なので迷うこと無く登れます。途中八幡神社方面へ伸びる平場があり、そちらが本来の大手道と考えれます。
そして切り通しのような登城道の右手には段曲輪が幾重にも連続ししています。主郭部分は二段になっており虎口には立派な石垣と石段が残ります。主郭には愛宕神社がありその右手には石垣が築かれえいます。ただ片側だけにあるので何か意図があってこうなっているかがわかりません。そして主郭まで来ましたら搦手側の虎口から下に降りるとそこには山上御殿のあった曲輪があり、手前には堀切と土橋もはっきりと残っているのが見られます。
季節によりスズメバチなどいるようなので注意して登るようにした方が良いです。


登城日 2015年5月1日(金)
LINK 小浜市HP-後瀬山城跡-
Wikipedia〜後瀬山城〜
城主家紋 【割菱】
(清和源氏武田氏流)
若狭武田氏家紋
【直違い】
(武蔵七党児玉党)
丹羽氏家紋

                      

探訪

※後瀬山城守護館跡説明板の曲輪図より(加筆あり)
【搭乗口近くより後瀬山城址】 【登城口】
愛宕神社の鳥居をくぐり一本道をひたすら登る。
【登城口の説明板】
【竪堀】
登城口入ると目の前に見えてくる。
【登城胴と竪堀】
立堀に沿って登城道がある。
【曲輪群】
この指標から上は右手に連続する段曲輪が続く。
【郭5から主郭方向】
少し開けた場所に主郭の指標がある。この場所が縄張図に加筆した郭5の部分になる。
【郭5】 【郭5】
この先にも郭は続いている。
【郭5】
此処から先に堀切等があり、八幡神社の方に続いているようです。これが本来の登城ルートになると思われる。
【登城道】
右手に段曲輪が続く。
【登城道と段曲輪】
上から見下ろすと段曲輪がよく分かる。
【段曲輪の一部】 【段曲輪の一部】 【郭4下のスペース】
ここにはトイレでもあったような基礎がある。ただ縄張図でもここにはスペースがあるので嘗ては郭4に入る虎口を守る番所でもあったものと思われる。
【郭4の虎口】
虎口は屈曲しているので小規模な枡形になっていたと思われる。
【郭4の虎口】 【郭4側の凹み】
虎口入って右手にこの凹みがある。縄張図で○が見えるので昔からあるもののようだが井戸でもあったのだろうか?
【郭4】 【堀切と土橋】 【土橋】
【土橋左側の堀切】 【郭2】 【郭2】
郭2の北の端】
眼下に郭4が見える。
【主郭(郭1)虎口の石段】
主郭(郭1)部分は2段になっており、郭2から直線的に主郭へ続いている。
【郭2からの眺望】
城址北側近くは小浜湾が広がる。
主郭(郭1)下段の切岸】 【主郭(郭1)下段の石段】 【主郭(郭1)下段石垣(虎口左手)】
【主郭(郭1)上段虎口の石段】 【主郭(郭1)上段虎口の石段】 【主郭(郭1)上段の石垣(虎口右手)】
【主郭(郭1)上段石垣】
主郭の角に当たる石垣、主郭は石垣で出来ていたことを伺わせる。
【主郭(郭1)上段石垣】 【主郭(郭1)上段虎口左手】
すぐ主郭に入る部分に鏡石が埋め込まれている。
【主郭(郭1)】 【愛宕神社】 【主郭(郭1)西側の石垣(石塁)】
【武田氏城跡の碑】 【主郭(郭1)西側の石垣(石塁)】 【主郭(郭1)西側の石垣(石塁)】
【主郭(郭1)西側の石垣(石塁)上】 【主郭(郭1)西側の石垣(石塁)】 【主郭(郭1)西側の石垣(石塁)】
北から西側にかけてのみこの石垣(石塁)がある。
【搦手側より主郭(郭1)】 【主郭(郭1)の搦手口】 【主郭(郭1)の搦手】
【堀切】
周囲には主郭の石垣だったと思われる石が転がっている。
【土橋(坂虎口)】
この土橋の先に山上御殿跡(郭3)がある
【山上御殿跡(郭3)】
かなり広い郭で周囲は土塁で囲まれている。ここに御殿と庭園があった。
【山上御殿(郭3)の土塁】 【山上御殿(郭3)北端】
木々の間に海の青色が見える。当時はさぞかし綺麗な景色が広がっていたのであろう。
【山上御殿(郭3)からみた土橋】
【後瀬山城跡守護居館跡説明板】 【後瀬山城跡守護居館跡】
旧小浜小学校跡地
【空印寺表門】
【空印寺本堂】 【空印寺内八百比丘尼 不老不死伝説の説明板】 【八百比丘尼入定地跡】
空印寺の境内に八百比丘尼が入定した洞窟跡がある。
ジャンル:パン
店名:石窯パンの郷 こころ
住所:福井県小浜市小浜男山39-2
TEL:0770-53-0575
営業時間10:00〜18:00
定休日:月曜日

後瀬山城址から降りてきて麓の居館跡行く途中、八幡神社の前にこのお店があります。最初はパン屋さんとは気が付かず、雰囲気の良い建物だなと写真を撮っていたら、パン屋ということに気が付き、お腹も減ったので買っちゃいました。
古民家を利用した石窯パンで品数は既に売り切れもあったりと地元の方に愛されているんだなと感じます。
お値段は少々高めでしたが、食べてみると小麦の香ばしさとフワフワした食感が印象的でした。城址に登る前に購入すると良いかもですね。




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