城名 古渡城
住所 460-0016
愛知県名古屋市中区橘2丁目8-55
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 平城
天守構造
築城主 織田信秀
築城年 天文3年(1534)
主な改修者
主な城主 織田氏
位置 北緯35度9分8.09秒
東経136度54分7.05秒
地図 城址碑
【歴史】
愛知県名古屋市中区にあった戦国時代の平城。
四方を二重の堀で囲まれた東西約140m、南北約100mの城郭だった。
織田信秀(織田信長の父)が今川氏豊から那古野城(名古屋市中区)を奪って居城を移した翌年の天文3年(1534)、今川氏に対する東南方向の備えとして築城し、当時、吉法師と呼ばれていた幼少の嫡男・信長に那古野城を譲り、信秀の居城とした城である。天文15年(1546)、13歳の信長は、この城で元服した。

天文17年(1548)、信秀が美濃に侵攻している際に、清洲城の尾張下四郡の守護代・織田信友の家臣・坂井大膳らが城主の不在をねらって古渡城を攻撃して城下町を焼いたが、城は落城しなかった。この年、信秀は末森城を築いて、新たな居城としたため、築城後わずか14年で廃城になった。

現在、かつての城跡は真宗大谷派東本願寺名古屋別院の敷地などになっている。また、別院に隣接した下茶屋公園は、古渡城の堀跡を利用して整備された公園である。別院の境内に古渡城跡碑が建っているが、残念ながら、城の遺構はほとんど残っていない。


【感想】
遺構はほぼないが城址碑のみだけでも見れてよかったです。那古野城などとの位置関係も実感出来ました。
それよりも真宗大谷派東本願寺名古屋別院がこんなにも大きく驚きました。


登城日 2015年5月5日(火)
LINK 真宗大谷派東本願寺名古屋別院HP-古渡城址碑-
古渡城-Wikipedia-
城主家紋 【木瓜】
(平氏の子孫か?)
織田氏家紋

                      

探訪
【堀跡に造られた下茶屋公園】 【堀跡に造られた下茶屋公園】 【真宗大谷派東本願寺名古屋別院】
【真宗大谷派東本願寺名古屋別院】 【真宗大谷派東本願寺名古屋別院・本堂】 【古渡城址碑】
真宗大谷派東本願寺名古屋別院正面入って左側にある。




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