城名 安田城(別名:安田塁)
住所 〒939-2751
富山県富山市婦中町安田
入場時間 安田城跡資料館
午前9時〜午後5時
(入館は午後4時30分まで)
休館日
月曜日(祝日の場合は開館)
祝日の翌日(祝日の翌日が土日の場合は開館)
12月28日〜1月4日
※その他臨時休館日あり
入場料 無料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 連郭式平城
天守構造
築城主 前田利家
築城年 天正13年(1585)
主な改修者 岡嶋一吉(前田氏家臣)
主な城主 岡嶋一吉(前田氏家臣)、平野三郎右衛門
位置 北緯36度40分49秒
東経137度9分39秒
地図 本丸
二ノ丸
右郭
安田城跡資料館
【歴史】
この城は、呉羽丘陵東南端麓、井戸川左岸の扇状地に立地する戦国時代の平城です。堀を含めた規模は東西約150m、南北約240mです。

天正13年(1585)、全国統一を目指す豊臣秀吉が越中の佐々成政を攻めた祭、秀吉の本陣となった白鳥城(実際、秀吉の本陣は倶利伽羅で白鳥城には織田信雄が陣を構えた)の支城として築かれました。前田家部将のの岡嶋一吉が居城後、代官の平野三郎左衛門が居城しましたが、後に廃城になりました。

本丸、二ノ丸、右郭の郭の回りに、井戸川から水を引き入れた堀が巡らされていました。本丸と二ノ丸には高さ約2.4mに復元される土塁が存在しました。このような城の構造は、江戸時代文化年間に富山藩士安達淳直・直章による「安田古城之図」と一致します。安田城跡のように保存状態が良く全体像が分かる平城は、全国的に少なく貴重な事例です。

出土品の約九割はかわらけで占められ、油を燃やして明かりをとる灯明皿として用いられたものが多くあります。また瀬戸美濃の天目茶碗や中国製の染付皿、越中瀬戸の皿、すり鉢などの陶磁器のほか、短刀、鉄釘、鋼銭、砥石、坩堝(金属を溶かす容器)、鉄滓などが出土しました。
(城址説明板より)


【感想】
先に周った白鳥城とは異なり、水堀に囲まれ綺麗に整備された平城、一つの郭が意外に広いが一つ一つの郭にそれほど凝った作りはされてなく、あるのは土塁のみ。この土塁も横矢などは全く見られない。そのため城としての魅力は少ない。


登城日 2015年7月11日(土)
LINK  安田城跡 歴史の広場
Wikipedia〜安田城〜
城主家紋 【梅 鉢】
(称菅家流)
前田氏家紋

                      

探訪
【安田城跡資料館】
2階のベランダ部分が展望デッキになっている。
【安田城跡資料館2階展望デッキの展望案内】 【安田城址】
【堀】 【堀】 【土橋】
右郭に入るための土橋。
【土橋】 【右郭跡】 【安田城 野外模型】
【安田城 野外模型】 【本丸跡】
右郭より見た本丸跡と堀、木橋。
【二ノ丸跡】
右郭より見た二ノ丸跡と堀、土橋。
【二ノ丸跡に入るための土橋】 【二ノ丸に入るための土橋】 【二ノ丸の土塁】
【二ノ丸跡】
二ノ丸は三方を土塁で囲まれている。
【二ノ丸南側虎口】 【二ノ丸南側の土橋】
【安田城址碑】 【二ノ丸南側から見た堀】 【本丸に架かる木橋】
土橋の方は後世追加されたもの。
【本丸土塁】
幅は約12mある。
【本丸虎口】 【土塁展示館】
土塁展示館内部】 【本丸土塁上部より見た二ノ丸跡】 【本丸土塁上部より木橋と堀】
本丸跡】
本丸は四方を分厚い土塁に囲まれている。
【本丸北東側】 【本丸北側土塁と堀】
土塁は水面からかなり高いことが分かる。




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