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城名 | 大峪城(別名:伊賀城、大掛城、大懸城) | ||
住所 | 〒930-0887 富山県富山市五福 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 平城 | |||
天守構造 | − | |||
築城主 | 神保長職 | |||
築城年 | 天正13年(1585) | |||
主な改修者 | 前田利家 | |||
主な城主 | 片山延高(前田家家臣) | |||
位置 | 北緯36度41分53秒 東経137度10分59秒 |
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地図 | 1 | 本丸 | ||
2 | 二ノ丸 | |||
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【歴史】 この城は、元は神保氏によって築城されたが、豊臣秀吉が富山城の佐々成政を攻めた天正13年(1585)頃のものです。秀吉側の軍勢が陣地とした白鳥城の出城として、安田城とともに築城されました。前田利家の家臣片山伊賀守延高が城を守っていたので「伊賀城」とも呼ばれました。 文化9年(1812)に測量を行った記録によれば、城の構造は本丸とその東にある二ノ丸、これらを取り巻く総曲輪からなり、南側を流れる井田川から水を取り込んで、周囲に堀をめぐらしていたことが分かります。 平成元年の五福小学校東側の発掘調査で、最大幅14m、最深部約3.5mの堀跡と本丸へ続く土橋が確認されました。 現在、五福小学校校舎のある高台が本丸跡と推定されています。「城割」、「城ノ下割」、「西ノ輪割」などの小字名が城の名残を示しています。また「大工町」の小字名から周囲に城下町の存在が推定されます。 (城址説明板に加筆) 【感想】 現在は五福小学校であるため許可無く立ち入ることは出来ないが校舎が建っている箇所が本丸であり、その周囲に土塁が見られるようです。二ノ丸は東側にあったようなのでそちらも見てみたかった。 |
登城日 | 2015年7月11日(土) | ||
LINK | 堀切もえの富山の城跡探訪 | |||
Wikipedia〜大峪城〜 | ||||
城主家紋 | 【梅 鉢】 (称菅家流) 前田氏家紋 |
【井田川】 城址近くを流れているので、ここから水を引いていた。 |
【大峪城址説明板】 現在は富山市立五福小学校になっており校門すぐ脇にある。 |
【五福小学校校庭】 ここが郭なのかと思ったが違うらしい。二ノ丸は校舎の東側になるようです。 |
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【本丸切岸】 | 【本丸跡】 校舎が建つ位置が本丸とされる。 |
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