城名 泉頭城
住所 〒411-0907
静岡県駿東郡清水町伏見字泉頭
入場時間
入場料
指定文化財 柿田川:国指定天然記念物
城郭構造 平城
天守構造 不明
築城主 北条氏康
築城年 弘治年間(1555〜1558)
主な改修者
主な城主 北条氏、笠原氏、武田氏
位置 北緯35度6分25秒
東経138度54分4秒
地図 本曲輪
舟付曲輪
西曲輪
第六天曲輪
北曲輪
【歴史】
泉頭城は柿田川の水源地泉頭に築かれた戦国時代(15〜16世紀)の城郭です。
城域は東西400m、南北500mあり、二ノ洞と三ノ洞に区切られた中央の本曲輪を中心に、これを取り囲んで北ノ曲輪、東ノ曲輪、西ノ曲輪、舟付曲輪、小郭、第六天曲輪、南ノ曲輪があり、水源地の西側に堂ノ口出丸が築かれています。それぞれの曲輪は泉ノ川と自然の深い洞、人口の空堀で防禦されており、土橋と木橋で結ばれていました。

この城は戦国時代の終わり頃には小田原後北条氏の持城で伊豆を守る国境の城としての役目を果たしていました。永禄12年(1569)後北条氏は家臣多目周防守と荒川清兵衛を城将とし、沼津三枚橋城や清水町の戸倉城、三島の伊豆穂倉城と連絡して、甲斐武田信玄の侵攻に備えました。

天正8年(1580)武田勝頼の攻撃には、荒川豊前守、大藤長門守、多目権兵衛を城将とし、それに高橋、市南の足軽大将が各々百騎づつ従えて城を守り、戸倉城とは舟で連絡していました。天正9年(1581)戸倉城が武田軍に降参すると泉頭城のまわりの村々は武田軍の安井治大夫らの手によって焼き払われてしまいました。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐が始まると、後北条氏は泉頭城を破壊し、城兵は韮山城と山中城へ引上げました。

元和元年(1615)徳川家康は泉頭の城跡が大変気に入り、自ら老後の憩いの場所と定め家臣土井利勝、本多正純に、隠居御殿の城を造営することを命じましたが元和2年(1616)家康が没したので取り止めにしました。その後城域はまわり村人によって開墾され、田や畑になりましたが、大正の頃まで城跡はよく残っていたということです。
(説明板より)

【感想】
城址の説明板がなければこの場所がお城であったことが、まずわからない場所です。
富士山の湧水で有名な柿田川公園になっているため観光客は多いです。確かに柿田川の透明度と湧水の量が多いため暑い夏には良い場所ですね。
城としての遺構はあまりないのでよく見て行く必要があります。



登城日 2015年7月18日(土)
LINK 清水町観光協会-泉頭城-
清水町-柿田川公園-
城主家紋 【三つ鱗】
(伊勢平氏流)
後北条氏家紋

                      

探訪

※泉頭城復原見取図より
【柿田川公園】 【柿田川水源(第一展望台 湧水)】 【柿田川】
【柿田川水源(第二展望台 湧水)】 【西曲輪跡】 【貴船神社】
西曲輪の南端に位置する。
【説明板】
公園管理所近くにある。
【二ノ洞跡】
公園管理所裏から南方へ延びる。
【二ノ洞跡】
現在は湧水広場として整備されている。
【柿田川】
対岸では川で泳いだりと水遊びしており気持ちよさそうでした。
【舟付曲輪跡】 【舟付曲輪跡】
【舟付曲輪の湧水】 【三ノ洞跡(南端部)】
舟付曲輪から繋がる場所にある。
【堀切】
【本曲輪跡】
現在は公園の駐車場になっている。
【本曲輪跡】
本曲輪は北端には土塁があったようですが、今はその遺構もありません。
【第六天曲輪跡】
木製八つ橋より駐車場とは反対方向(町立図書館・地域交流センター)へ行くとこの場所に出ます。すっかり宅地や墓地になっており遺構は無いようです。
ジャンル:うなぎ
店名:うなぎ 桜家
住所:静岡県三島市広小路町13-2
TEL:055-975-4520
営業時間:11:00〜20:00(売り切りじまい)
定休日:水曜日(祝祭日の場合は営業)

三島でも有名なうなぎ屋、人気店のため開店前から名前を記入し待っている。開店1時間前でも紙3枚目でした。人数が多いと11時前には開店するようなので30分前には店近くにいたほうが良いです。

写真はうなぎ重箱(3枚)\4.950-
価格は高いので奮発する必要がありますが、身はふっくらとして味は薄めなので鰻自体の味を感じられました。




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