城名 | 妻籠城 | |||
住所 | 〒399-5302 長野県木曽郡南木曽町吾妻 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 木曽氏 | |||
築城年 | 室町時代中期 | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 山村良勝 | |||
位置 | 北緯35度35分05.3秒 東経137度35分44.0秒 |
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【概要】 妻籠城は、いつ誰によって築かれたか明らかではないが、伝承では木曽家村が室町時代に築いたと言われるが、戦国時代に木曽氏の南の抑えとして、木曽義昌によって整備されたものと思われる。 妻籠城は、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの折、ここも戦場となり、木曽義昌の家臣山村甚兵衛良勝が籠って、徳川家康配下の菅沼、保科らの軍勢を退けている。また、慶長5年(1600)の関ケ原の戦いの時も、軍勢がはいってここを固めたが、元和2年(1616)には廃城となった。 妻籠城は典型的な山城で、木曾川と蘭川の合流する断崖上に位置し、いくつかの平地、空堀・帯曲輪、さらには南木曽岳にのびる妻の神土塁という土塁も備えており、規模の大きな構えであったことが知れる。 主郭へは徒歩十分で、北は木曾川と遠く駒ケ岳を望み、南は妻籠宿から馬籠峠まで一望できる。 【感想】 妻籠宿そばにある城で中山道を抑えるための城になっている。旧中山道沿いに登城口があります。 そこから登って行くとS字の土橋に堀切、いくつかの曲輪を形成し、本丸下には帯曲輪があるが、時期的に藪化しており通ることは出来なかった。 本丸は広く平坦だが草も多く、ベンチの上に乗れば辛うじて妻籠宿を見下ろすことができます。 |
登城日 | 2019年9月15日(日) | ||
LINK | 妻籠観光協会ー妻籠城跡 | |||
妻籠城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【九曜】 (清和源氏義仲流) 木曽氏家紋 |
※説明板より |
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【登城口】 この登城口は中山道沿いにある。 |
【土橋】 | 【登城道】 |
【堀切】 | 【曲輪】 | 【曲輪】 |
【土橋】 | 【堀】 | 【堀】 |
【腰曲輪跡】 | 【本丸跡】 | 【説明板】 |
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