城名 | 美濃金山城 (別名:兼山城、鳥峰城、鳥ヶ峰城) |
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住所 | 〒505-0130 岐阜県可児市兼山秋葉台柿 |
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入場時間 | − | ||
入場料 | − | ||
指定文化財 | 国指定史跡 | ||
城郭構造 | 梯郭式山城 | ||
天守構造 | − | ||
築城主 | 斉藤正義 | ||
築城年 | 天文6年(1537) | ||
主な改修者 | 森可成、森長可、森忠政 | ||
主な城主 | 斉藤氏、森氏、石川氏 | ||
位置 | 北緯35度27分23.9秒 東経137度05分50.2秒 |
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【概要】 室町末期、天文6年(1537)斉藤道三の命を受け、その猶子斉藤大納言正義は、この山頂に(標高273m)に築城、鳥ヶ峰城と称し、中井戸の庄の地名を金山村と改めた。 豪勇無双近隣に武威をふるった斉藤氏も天文17年(1548)久々利城主・土岐三河守に討たれた。正義時に33歳。 時移り永禄8年(1565)織田信長は東美濃経路の拠点として森三左衛門尉可成を封じ、金山城主7万5千石とした。以来森可成・長可・忠政父子三代の居城として戦国波乱の歴史を彩った。すなわち可成は元亀元年(1570)9月20日近江宇佐山で浅井・朝倉軍と戦い討死(47歳)、これより先、長男可隆も4月25日朝倉攻めに初陣、敦賀手筒山城で討死している(19歳)。天正10年(1582)3月9日には甲州武田氏征伐の途中信長は、金山城に一泊している。天正10年6月2日未明、明智光秀謀反による本能寺の変で信長(49歳)とともに討死した可成三男蘭丸長定(岩村城主5万石18歳)、四男防丸長隆(17歳)、五男力丸長氏(16歳)の三兄弟はともに金山城で出生・信長の側近、近習として仕えていた。 二代城主二男長可はことのほか武勇に優れた「鬼武蔵」といわれた。岩村城主5万石も兼ね信州海津城主でもあった。伊勢長島一向一揆征伐、武田征伐等に偉功をたてた。可成寺を創建、城の改築や城下町づくりにも意を用いたが天翔12年(1584)4月9日長久手の合戦において討死(27歳)、僅々15年ほどの間に父子6人もの悲報に接した可成室妙向尼の悲嘆のほどが偲ばれる。 三代城主六男忠政金山城で出生、長可の跡目を継ぎ15歳で7万石を領し豊臣秀吉に仕えた。金山城の整備拡充を手掛けたが九州、小田原等に転戦、知略の将と重んぜられた。 慶長5年(1600)徳川家康の命により信州海津城(137,500石)に移封、金山村及び金山城は犬山城主石川備前守光吉の領有となる。天守諸櫓等一切を取り壊し木曽川を下して犬山城郭の増築修復に使われたという。 忠政は慶長8年(1603)美作国186,500石に国替えとなり以後13年かけて津山城を完成、現在の岡山県津山市の基をつくった。 斉藤、森両氏を通じ、在城僅か40数年であったが戦乱の世に名将として武威発揚もめざましい一方で城郭整備「六斉市」をはじめとする商業振興など城下町づくりにも力をつくした。 (説明板より) 【感想】 麓にある米蔵跡付近は整備され石垣も良く見ることができます。今後この周辺に何かできるのでしょうか? 山上の方は破城跡が色々見ることができ、曲輪跡も良く残っている。 破城前は総石垣で作られていたと想像でき本丸の周囲には腰曲輪があり防御面でも優れていたことでしょう。 搦手から左近屋敷跡へは道が通行止めとなっていて見ることができないのは残念。 |
続 日本100名城 スタンプ |
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スタンプ 設置場所 |
可児市観光交流館 | ||
登城日 | 2019年9月15日(日) | ||
LINK | チャンバラ合戦-戦ー可児市の乱-美濃金山城 | ||
可児市公式HP-美濃金山城跡パンフレット | |||
金山城(美濃国)-Wikipedia | |||
城主家紋 | 【撫子】 (藤原氏利仁流) 美濃斎藤氏家紋 |
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【鶴 丸】 (清和源氏義家流) 森氏家紋 |
※パンフレットより |
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【米蔵跡】 | 【米蔵跡】 | 【米蔵跡】 |
【米蔵跡】 | 【米蔵跡】 | 【米蔵跡】 |
【大堀切】 | 【出丸跡】 | 【出丸跡からの眺望】 |
【出丸石垣】 | 【三ノ丸門跡】 礎石が残っています。 |
【破城の痕跡】 この場所は二ノ丸の石垣になります。 |
【三ノ丸跡】 | 【古城山払下げ記念碑】 この記念碑の周りには破城した際の石垣が置かれている。 |
【水ノ手虎口】 |
【三ノ丸跡】 | 【二ノ丸跡】 二ノ丸門、侍屋敷、物見櫓などの諸施設がありました。 |
【二ノ丸・物見櫓跡】 二ノ丸南端に位置し敵情監視の最適地。南方に広がる丘陵に明智光秀の居城長山城、西方に中山道太田宿、東方に久々利城、浅間山や恵那方面が望見される。 |
【枡形虎口手前の石段】 | 【枡形虎口手前の石段】 | 【枡形虎口跡】 |
【枡形虎口・ニノ門跡】 | 【枡形虎口跡】 | 【西腰曲輪跡】 |
【南腰曲輪跡】 | 【天守台跡】 | 【天守台西南隅石】 |
【天守台西南隅石】 | 【本丸下城道】 | 【石段跡】 |
【本丸西北石垣】 | 【東腰曲輪跡】 | 【東腰曲輪跡】 搦手の重要施設本丸の最終防御線で土塀や侍屋敷の礎石がある。 |
【搦手門礎石】 搦手の左近屋敷から東曲輪へ入る重要な門で丸石はその礎石です。 |
【東腰曲輪跡】 | 【自然岩盤を利用した石垣と集水桝(井戸)跡】 |
【集水桝跡】 | 【本丸虎口】 | 【本丸虎口】 |
【金山城址碑】 | 【本丸跡】 | 【本丸跡にある説明板】 |
【後世に作られた入口】 | 【後世に作られた入口】 | 【本丸跡から見た西腰曲輪跡】 |