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城名 安土城
住所 〒521-1341
滋賀県蒲生郡安土町下豊浦
入場時間 午前9時〜午後4時(最終受付時間)
入場料 大人700円、小人200円
指定文化財 国指定特別史跡
城郭構造 平山城
天守構造 望楼型地上6階地下1階(1579年・非現存)
築城主 織田信長
築城年 天正4年(1576年)
主な改修者
主な城主 織田氏
位置 北緯35度9分21.29秒
東経136度8分21.87秒
地図 前田利家邸跡
ハ見寺仮本堂(徳川家康邸跡)
黒金門跡
ハ見寺三重塔
ハ見寺仁王門
100名城
スタンプ
【概要】
織田信長公が天下統一を目標に天正4年(1576年)1月17日、重臣である丹羽長秀を総普請奉行に据え標高199mの安土山に築城させた平山城。岐阜城よりも京に近く利便性があり、北陸・東海の要所であった。
現在は四方とも干拓により陸地となっているが当時は琵琶湖の内湖(伊勢内湖・常楽湖)に囲まれ南方のみが開けた地形であった。
築城開始から3年後天正7年5月、わが国で初めての天守閣(安土では、天主閣)をもつ安土城が完成した。ところが天主完成から3年目の天正10年(1582年)6月2日未明、中国毛利へ出陣途中の明智光秀の謀反により信長公は京都本能寺で自刃(49歳)。
混乱の中6月15日、天主などを焼失、一夜のうちに落城した。原因は織田信雄が誤って焼き払ったという説や配送する明智光秀軍による放火という説などが有名。

【感想】
城郭の中で一番来たかったところです。歴史に興味を持ったのも信長からで、いろいろな本読み、いつしか行ってみたいと思っていた場所、石段を登るのはきついですが天守跡に登った瞬間に、ここに信長もいたんだと思うと感慨深いものがありました。
天守跡からの景色をしばらく見ていました。
もう一度行ってみたい城郭です。

スタンプ
設置場所
町立安土城天主信長の館、安土城跡受付
登城日 一回目:2008年9月14日(日)
二回目:2016年12月23日(金)
LINK 安土城天主-信長の館
安土町-観光情報
安土城-Wikipedia
城主家紋 【織田木瓜】
織田家家紋

                      


探訪

※安土城全体縄張図より(加筆有り)

※主郭部平面図
【安土城遠景】 【安土城南側旧琵琶湖の名残】 【安土城址碑】
安土城城址前交差点付近に建っている。
【安土城跡ガイダンス・休憩所】
トイレ・休憩所有り、中に安土城天主模型が置かれている
【安土城跡ガイダンス内の天守模型】 【大手口・東側石塁北上段郭と虎口】
【大手口・東側石塁北上段郭・北側石垣】 【大手口・西側石塁の枡形虎口戸平虎口】 【西側上段郭の竈跡】
【旧登城口】
入山料500円時代、大手道が塞がれてなくよかったのですが
【現登城口】
料金所が大手道の半分ほど占めており、電線も通っているため大手道を一番下から撮ることが難しくなった。
【大手道】
昔は電線もなく下から撮れて良かった。
【伝羽柴秀吉邸跡】
大手道を登るとすぐ左手に秀吉邸があります。
【伝羽柴秀吉邸跡-下段】 【伝羽柴秀吉邸跡-下段から上段へ上がる通路】
【伝羽柴秀吉邸跡−上段】 【伝羽柴秀吉邸跡-上段】 【伝羽柴秀吉邸イメージ図】
【伝前田利家邸跡】
羽柴秀吉邸の反対側にあるのが前田利家邸です。
【伝前田利家邸跡】 【伝前田利家邸の石塁】
石塁裏に通路があり上に行ける。
【伝前田利家邸の木樋(もくひ)が発見された場所】 【伝前田利家邸虎口付近より見た大手道】 【伝徳川家康邸・現在はハ見寺仮本堂が建つ】
【大手道直線部終了地点から見た大手道】 【大手道上部】 【大手道の石材として使用された石仏】
【大手道上部】
上部の方に石仏が多く見られる。
【大手道の石材として使用された石仏】 【伝武井夕庵邸虎口】
信長の祐筆である夕庵邸跡です。
この付近が大手道の最上部になります。
でも階段はまだまだ続きますw
【伝武井夕庵邸跡】
敷地は広く池や井戸が見られる。
【伝武井夕庵邸の井戸跡】
囲いが壊れてしまい、蓋の木々も腐食が目立つので近づくと危険です。
【伝武井夕庵邸の石垣】
【大手道最頂部】 【城道】
正面に見える一段上が伝織田信忠邸
【伝織田信忠邸跡】
【伝織田信忠邸を回り込むかのように伸びる城道】 【城道】 【織田信澄邸・森蘭丸邸跡碑】
横に並んで碑が建つが実際はここよりさらに奥にあり、手前に森蘭丸邸、その先に織田信澄邸があったようです。
【黒金門付近の石垣】 【黒金門跡】 【黒金門跡】
【黒金門枡形】 【黒金門跡】 【織田信雄公四代供養塔】
黒金門を抜け左に曲がると伝長谷川竹秀一邸跡があり現在はそこに織田信雄公四代の供養塔が建っている。
左から二代・高長公、三代・長頼公、四代・信武公、初代・信雄公
【城道と二ノ丸石垣】 【二ノ丸石垣】 【二ノ丸・本丸へと続く城道】
【仏足石】
安土城築城の際に持ってこられた石材の一つ。
仏足跡はお釈迦様の足跡をあらわしたもので仏像に先立ち崇拝の対象とされていた。
日本では薬師寺のものが現存最古のものとして有名ですがこの仏足石は中世の数少ない遺物として大変貴重なものです。と立札には書かれていますが、野ざらしですw。
【仏足石】 【二ノ丸・本丸へと続く城道】
【二ノ丸下】 【二ノ丸跡】 【二ノ丸跡】
【二ノ丸跡にある信長公本廟】 【信長公本廟】
天主跡西下に伝二の丸跡に信長公の本廟があります。
羽柴秀吉は太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して本廟としました。
【本丸跡】
本丸御殿跡にもなっている。
この御殿には天皇を招き入れる「御光の間」があったそうです。
信長公記より
【天主石垣】 【本丸南東出入口】
この先左側に三ノ丸入口があり、右側には伝堀久太郎邸へと続いているが現在は立入禁止となっている。
【三ノ丸石垣】
【本丸北東出入口】
右に見えるのが三ノ丸石垣
【本丸北東出入口】
この先左側は台所、右側は米蔵・煙硝蔵に通じているが現在は立入禁止となっている。
【本丸取付台】
【天守下本丸取付台】
この先は八角平に続いているが先は立入禁止となっている。
【天主台跡】 【天主跡虎口】
【天主跡】
背丈ほどの高さの石垣に囲まれ東西、南北それぞれ約28mの台地。今は礎石が1,2mおきに整然と並ぶだけですが、この部分は天主の穴蔵(地階の部分)にあたり、その上にさらに大きな天主がそびえていた。
五層七階(地上6階地下1階)の天主はイエズス会の宣教師ルイス・フロイスによればヨーロッパにもあるとは思えないほどの壮大さであったといい、高さ33mの木造高層建築は我が国で初めてのものであった。
【天主跡】 【天主跡から見た二ノ丸跡(信長公本廟)】
【天主跡からの眺望】 【ハ見寺・本堂跡】 【ハ見寺の三重塔】
建物は室町時代のもので信長が甲賀の長寿寺から移建したものとされている。
特別保護建造物に指定、重要文化財。
【ハ見寺本堂跡からの眺望】 【ハ見寺の仁王門「仁王像」】 【ハ見寺の仁王門】
こちらも甲賀から移したもの。
仁王門と木造金剛力士立像ともに特別保護建造物に指定、重要文化財。




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