powered by 地図Z
城名 広島城(別名:鯉城)
住所 〒730-0011
広島県広島市中区基町21-1
入場時間 ;午前9時〜午後6時(12月〜2月の平日は午後5時まで)
休館日:12月29日〜1月2日
入場料 大人360円 小人180円
団体30人以上 大人280円 小人100円
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 輪郭式平城
天守構造 複合連結式望楼型5重5階(1599年・非現存)
外観復元(鉄筋コンクリート造・1958年再)
築城主 毛利輝元
築城年 天正17年(1589年)
主な改修者 福島正則
主な城主 毛利氏、福島氏、浅野氏
位置 北緯34度24分10.13秒
東経132度27分32.28秒
地図 表御門
御門橋
太鼓櫓
多聞櫓
本丸
100名城
スタンプ
【概要】
毛利輝元が豊臣政権下、天下が安定になり、今までの居城「吉田郡山城」では山間部にあり、商業の中心地としては不適切であったことから、海上交易路である瀬戸内の水運が生かせ、城下町の形成が可能な平野がある海沿いへの拠点として太田川の三角州に築城したのが、広島城である。

築城工事には10年を要したが、望楼型の五重五階の大天守に小天守二基連ねた連結式天守をはじめ、建ち並ぶ数多くの櫓群が120万石の大名にふさわしい格式を誇った。
1600年の関ヶ原の戦いにおいて西軍の総大将を務める。家康率いる東軍と三成率いる西軍の争いで、西軍が負けると判断していた吉川広家は、黒田長政を通じて本領安堵、家名存続の交渉を家康と行っていた。関ヶ原本戦では吉川軍が毛利軍を抑える結果となり、毛利軍は不戦を貫いた。しかし徳川家康は戦後、その約束を反故にして、毛利輝元を改易、その上で改めて吉川広家に周防・長門の2ヶ国を与えて、毛利氏の家督を継がせようとした。しかし広家は家康に直談判して毛利氏の存続を訴えたため、輝元は隠居、秀就への周防・長門2ヶ国の安堵となり、毛利本家の改易は避けられた。ただし、所領は周防・長門2ヶ国の37万石に大減封されたのである。

その後を福島正則が城主となるが、幕府に無断で石垣を修築したため改易、福島氏の後に入封した浅野氏が明治まで続いた。明治になってからは城は陸軍の用地となり昭和20年(1945年)の原爆により倒壊した。

その後、昭和33年(1958年)天守が鉄筋コンクリートで再建、平成6年には二の丸の表御門、太鼓櫓、平櫓、多聞櫓が再建された。
スタンプ
設置場所
天守内ミュージアムショップ
登城日 2008年9月17日(水)
LINK 広島城ホームページ
広島城〜Wikipedia
城主家紋 【一文字三つ星】
(大江氏流)
毛利家家紋
【沢瀉】
福島家家紋
【丸に違い鷹の羽】
浅井家家紋
その他 広島天守閣は平成20年再建50周年です。

                      

探訪
   
【太鼓櫓】 【御門、御門橋、平櫓】 【二の丸全景】
二の丸堀、御門橋、御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓
二の丸は、出撃の拠点馬出しの機能を持ち、本丸正面を守る役割を果たしていました。
【御門橋・御門】 【太鼓櫓】(二の丸より) 【平櫓内部】
【二の丸全景】(多聞櫓内より)
手前は番所跡、奥は厩跡、右手に井戸があります。
【多聞櫓内】
太鼓櫓まで続きます。
【本丸石垣と堀】
【中御門跡】 【二の丸全景】(本丸石垣上より) 【天守】(本丸より)
【本丸礎石】
天守台に残っていた礎石を一部移築して露出展示しているものです。
【天守閣】 【天守からの眺望】
   
【被爆樹木 ユーカリ】
このユーカリは、原爆にも耐え、生き残ったものです。
爆心地側の南面は原爆の熱線により黒く焼けただれています。
【天守閣】(城西側より) 【天守閣】(城西側より)
観光〜世界文化遺産・原爆ドーム〜
グルメ
店名:麗ちゃん(お好み焼き)
住所:広島県広島市南区松原町2-37 アッセ 2F(駅ビル2階)
TEL:082-286-2382(お問い合わせなど)
営業時間:11:00〜21:30
定休日:不定休(アッセの休業日に準じる)

アッセ2Fにはレストラン街があり、昼食時間時ここだけが妙に行列が出来ている。なぜ混んでるかはおいしいのか、行列が出来ているから並ぶのか?
わかりませんが、並んでみたw
本格的な広島お好み焼きは、初めてなのでうまいかどうかの比較をできませんが味は特別うまいわけでもなく、普通でした。
でも、混んでいる・・・不思議ですw

ま〜駅ビルなんで手頃ですけどね。
ソースはカープソース使用。




Back



inserted by FC2 system