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城名 二条城
住所 〒604-0096
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
入場時間 開城時間 午前8時45分〜午後4時まで
     (閉城午後5時)
二の丸御殿観覧時間:午前9時〜午後4時まで

休館日:12月26日〜1月4日まで
    7、8、12月及び1月の毎週火曜日
    (休日の場合は翌日)
入場料
大人 600円
指定文化財 国宝(二の丸御殿6棟)
国の重要文化財(建造物22棟、御殿障壁画954面)
国史跡、国特別名称(二の丸御殿庭園)
世界遺産(古都京都の文化財)
城郭構造 輪郭式平城
天守構造 複合式望楼型5重5階(1603年移築)
複合式層塔型5重5階(1624年築)(非現存)
築城主 徳川家康
築城年 慶長8年(1603年)
主な改修者
主な城主 徳川氏
位置 北緯35度0分50.96秒
東経135度44分51.0秒
地図 東大手門
唐門
桃山門
東南隅櫓
天守台
100名城
スタンプ

【概要】
二条城は、慶長8年(1603)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、三代将軍家光が、伏見城の遺構を移すなどして、寛永3年(1626)に完成したもので、家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画、彫刻など、いわゆる桃山文化の全貌を見ることができます。
慶応3年(1867)十五代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、明治17年(1884)離宮に、昭和14年(1939)には京都市に下賜されました。
また、平成14年(1994)ユネスコの世界遺産に登録され、平成15年(2003)に築城400年を迎えました。


【感想】
修学旅行以来の来訪でした。その時は二ノ丸御殿までしか見ていませんでしたので、その奥に本丸、天守台があるとは思いもしていませんでした。城としても立派で見どころは多くありました。


スタンプ
設置場所
元離宮二条城事務所
登城日 2008年12月6日(土)
LINK 元離宮 二条城HP
世界文化遺産〜二条城-京都府HP
二条城-Wikipedia
城主家紋 【徳川葵】
徳川家家紋
その他 二条城北側にある庭園

                      

探訪
【東南隅櫓】
二条城には寛永期に建てられた隅櫓が本来四隅にありましたが、天明8年の大火の際に東北隅・西北隅の両櫓が焼失してしまい、今はこの東南隅櫓と西南隅櫓が残っているだけです。
【東大手門】(外側)
屋根は本瓦葺で入母屋造り、妻は木連格子、棟には鯱が飾られています。形式は櫓門で石垣と石垣の間に渡櫓を渡して、その下を門とした形式になっています。
【東大手門】(内側)
【番所】
徳川将軍不在の二条城は二条在番と呼ばれる、江戸から派遣された武士によって警備されていました。毎年2組(1組50人)が4月に交代して番にあたりました。この番所はそうした詰め所の一つで、正面十間(19.6m)、奥行三間(6.06m)の細長い建物です。現在、門番所の遺構は少なく、貴重な建物になっています。
【東南隅櫓】 【唐門】(外側)
切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっています。彫刻がふんだんに使われています。
【唐門】(内側) 【二の丸御殿】(正面)
武家書院造の代表的な御殿建築で、車寄につづいて遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が東南から西北にかけ雁行に並んでいます。建物面積は3,300平方メートル、部屋数は33、畳は800畳余あります。各部屋の障壁画は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれています。
【二の丸御殿車寄せ】
【二の丸御殿の彫刻】 【釣鐘】
政変の時期、二条城と北側の所司代との連絡に使われたものです。
【井戸】
【二の丸庭園】
池の中央に蓬莱島、その左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、小堀遠州の作と伝えられています。
【二の丸庭園】 【築地塀上の菊瓦】
【東橋と櫓門】 【桃山門】 【東橋と櫓門】
往時はここに本丸御殿と二の丸御殿をつなぐ橋廊下と二階廊下などがありました。
【南中仕切門】 【冬支度中の梅林】 【西南隅櫓】(内側)
【西南土蔵】 【旧二条城石垣】
信長築城時の石垣、地下鉄烏丸線建築時に発見されたもので、移築されたもの。石垣の中には石仏などが見られる。
【天守台】
創建時の天守は、『洛中洛外図屏風』に城の北西部分(現在の清流園の辺り)に望楼型の5重天守として描かれている。この天守は慶長期に家康によって現在の二ノ丸北西隅に建てられたもので、3代家光の時に行われた寛永の大改修において淀城に移築された。
これに代わり、新たに造られた本丸の南西隅に、前年に一国一城令によって廃城とした伏見城の天守が移築された(したがって、短い間だけ2つの天守が並び建っていた時期があるということになる)。
この寛永期天守は、取付矢倉と小天守が付属する複合式の層塔型5重5階の天守であったが、1750年(寛延3年)に落雷で焼失して以来、再建されなかった。現在は、天守台のみが残る。
【西橋】 【本丸西虎口】 【本丸御殿車寄せ】
【天守台】 【本丸御殿】 【本丸御殿】
現在の建物は、京都御苑にあった旧桂宮御殿を1893年〜1894年にわたり、ここに移築したものです。
【本丸の井戸】 【本丸東側虎口】 【鳴子門】
奥に見えるのは桃山門。
【北中仕切門】 【西門虎口】 【西北土蔵】
【土蔵の門】 【北大手門】(内側) 【北大手門】(外側)
【西門(埋門)】 【西南隅櫓】 【南門】




城名 旧二条城跡
住所 〒602-0000
京都府京都市上京区下立売
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 平城
天守構造
築城主 織田信長
築城年 永禄12年(1569)
主な改修者
主な城主 足利義昭、東宮誠仁親王
位置 北緯35度01分11.9秒
東経135度45分28.3秒
地図 石碑
【概要】
旧二条城は、永禄12年(1569)に織田信長が、室町幕府15代将軍足利義昭の将軍座所(居城)として築かれました。室町通の角の石碑を中心に390m四方の敷地にほぼ70日間の短期間で、二重の堀や三重の天主を備えた堅固な城を築いた。四方に石垣を高く築き、内装は金銀を散りばめ、庭は泉水・築山が構えられた豪華な城郭だったと推測される。

その後、信長は義昭を追放し東宮誠仁親王を迎え入れ、二条御所として使われていましたが、室町幕府の滅亡と共に廃城となり、天正4年(1576)に取り壊されました。


【感想】

登城日 2015年11月1日(日)
LINK 京都じっくり観光-幻の京都探訪・旧二条城-
城主家紋 【足利二つ引】
(清和源氏義家流)
足利氏家紋

探訪
【旧二条城の碑】 【旧二条城推定敷地図】



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