城名 飯盛山城(別名:飯盛城)
住所 〒574-0011
大阪府大東市北条/四条畷市
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 佐々目憲法か木沢長政
築城年 建武年間(1334-1338)
主な改修者 木沢長政、三好長慶
主な城主 木沢長政、安見宗房、三好長慶、三好義継
位置 北緯34度43分35.07秒
東経135度39分13.2秒
地図 本丸高櫓郭跡
本丸展望郭台跡
本丸千畳敷郭跡
本丸倉屋敷郭跡
二ノ丸御体塚郭跡
【解説】
飯盛山城は、生駒山地の北部にそびえる標高314mの飯盛山に築かれた中世の山城です。
飯盛山は、東側に深い谷を有し、北と西側は非常に険しく、また河内平野や遠くは京都まで一望できることから、軍事的に重要な場所とされていました。そのため、南北朝時代には城が築かれたと推定され、本格的に整ったのは畠山の家臣、木沢長政が居城とした享禄4年(1531)の頃とされています。

その後、交野の土豪であった安見直政が城主の時期もありましたが、永禄3年(1560)には室町幕府の実力者であった三好長慶が畿内平定の本拠地として入城し、政治・文化の中心地となりました。また、長慶はキリスト教にも寛容で城下での布教を許可し、多くの家臣がこの城で洗礼を受けています。(河内キリシタン)

長慶が城主であった全盛期には、南北約1200m、東西約500mの城域に、大小約70の郭(防御するための場所)が築かれていたとされ、全国でも有数の山城といえます。

しかし、長慶も入城の4年後には亡くなり、天正4年(1576)頃には、織田信長の勢力によって廃城になりました。
(説明板より)


【感想】
城はハイキングコースにもなっているため休日にはハイカーが多いです。
今回四条畷神社側より登ったのですが、こちら側は急峻な登りで、多くの人は反対側の野崎観音や大東市立青少年野外活動センター側から登ってくる様です。
城跡にはたくさんの郭があり説明板の郭名は本来の呼び方ではないでしょうね。
石垣も多く見られ、馬場跡に続く道脇にも石垣が見られるようです。(城跡の石垣とは思わず写真を撮り忘れたのは痛恨でした。)
 
登城日 2016年10月16日(日)
LINK 飯盛山城-Wikipedia
四条畷市HP-飯盛山城-
城主家紋 【三階菱に釘抜】
(清和源氏小笠原氏流)
三好氏家紋

                      

探訪

※「飯盛城址案内マップ」より
【飯盛山城遠景】
四条畷駅より向かう途中の景色
【四条畷神社参道口】 【四条畷神社脇にある登城口】
【カエンダケの注意喚起】
猛毒のカエンダケが自生するようです。
見かけても触らぬように。
【登城路】 【険しい登城路】
四条畷川はこのような急峻な登城路があるので、ハイキングの方は野崎観音側から登ってくる人の方が多いようです。
【登城路】 【二ノ丸史蹟碑郭跡の城址碑】 【二ノ丸史蹟碑郭跡の立て看板】
【二ノ丸史蹟碑郭跡からの眺望】 【二ノ丸史蹟碑郭跡】 【城道】
【堀切】 【堀切】 【二ノ丸御体郭下の石垣】
【二ノ丸御体郭虎口】 【二ノ丸御体郭跡】 【二ノ丸御体郭跡・登山三百回記念碑】
わけのわからない記念碑が建っています。
【二ノ丸御体郭下】 【二ノ丸御体郭下の石垣】 【二ノ丸御体郭の石垣】
【二ノ丸御体郭の石垣】 【本丸三本松郭虎口】 【本丸三本松郭跡】
【登城路】 【本丸倉屋敷郭虎口】 【本丸蔵屋敷郭跡】
【本丸展望台郭虎口】 【本丸展望台郭跡】 【展望台からの眺望】
【本丸高櫓郭の切岸】 【本丸高櫓郭跡】
名前からするとここに物見櫓でもあったのでしょう。
【本丸高櫓郭跡に残る国旗掲揚台】
昭和14年に建てられた国旗掲揚台が残る。
【本丸高櫓郭跡にある城址碑】 【本丸高櫓郭跡に建つ楠木正行(小楠公)像】 【本丸高櫓郭下の堀切と土橋】
【本丸高櫓郭下の堀切と土橋】 【本丸千畳敷郭跡】 【本丸千畳敷郭跡】
【本丸千畳敷郭跡】 【本丸千畳敷郭跡】 【本丸千畳敷郭の虎口】
【南郭跡】 【南郭跡】 【南郭跡の土塁】
【本丸展望郭下の石垣】 【本丸展望郭下の石垣】 【馬場跡に建つ楠公寺】




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