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城名 | 高屋城(別名:畠山城、城山) | ||
住所 | 〒583-0852 大阪府羽曳野市古市5から7丁目 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 古市高屋丘陵が宮内庁治定 | |||
城郭構造 | 連郭式平山城、台地城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 畠山基国 | |||
築城年 | 応永年間(1394-1400) | |||
主な改修者 | 三好康長他 | |||
主な城主 | 畠山氏、安見宗房、三好氏 | |||
位置 | 北緯34度32分56秒 東経135度36分34.62秒 |
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地図 | 1 | 本丸跡 | ||
2 | 二ノ丸跡 | |||
3 | 三ノ丸跡 | |||
4 | 櫓跡 | |||
5 | 城山姥不動明王 | |||
【解説】 南北朝時代に安閑天皇陵を本丸にした河内守護畠山氏の居城。 応永年間(1394〜1400年)に畠山基国が管領兼河内守護となり、安閑天皇陵・安閑皇后陵などがある高屋丘一帯に築城し、古墳の周囲をめぐる堀は高屋城の本丸として利用された。 守護代の遊佐氏が城代としてつとめた。応仁の乱後は守護職畠山氏の居城となるが、畠山高政、安見直政、三好長慶による高屋城争奪戦が繰り返され、頻繁に城主が入れ替わった。 天正3年(1575)織田信長に攻められ、落城。最後の城主は三好康長であった。その後、高屋城は廃城となった。 現在、遺構は土塁と堀だけだが、宅地化や道路の敷設に伴う発掘調査によって、地上面の遺構は少ないものの高屋城の全貌が明らかになりつつある。 (日本の城がわかる事典より) 【感想】 本丸は安閑天皇の陵墓で中には入れませんが周囲をいろいろ散策してみると、説明板も置いてあり、それを元にまた散策をすれば以外にも遺構にたどり着くことが出来た。 歩いまわったおかげでどんな地形なのかもよくわかります。 |
登城日 | 2016年12月11日(日) | ||
LINK | 羽曳野市HP-高屋城- |
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高屋城-wikipedia | ||||
城主家紋 | 【二つ引両】 (清和源氏足利氏流) 畠山氏家紋 |
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【下り藤】 (三宅氏後裔?) 安見氏家紋 |
※現地看板より「高屋城の構造」と「古図」(加筆等有り) |
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【安閑天皇古市高屋丘陵】 安閑天皇の陵墓を本丸として利用していた。 |
【宮内庁の注意書き】 | 【本丸跡】 安閑天皇古市高屋丘陵で宮内庁管理のため中には入れません。 |
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【本丸西側土橋跡】 | 【本丸堀】 | 【本丸東側土橋跡】 | |
【本丸東側土橋跡】 | 【本丸堀跡】 | 【二ノ丸跡に建つ城山姥不動明王】 一段低い場所は堀跡。 |
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【城山姥不動明王】 | 【城山姥不動明王の説明板】 ここに高屋城についても記載されている。 |
【姥不動明王】 | |
【城山姥不動明王内にある説明板と城址碑】 注:城址碑は道側を向いているため写真では背面になっている。 |
【三ノ丸跡に建つ高屋神社】 | 【高屋城の不動坂説明板】 | |
【不動坂】 この下には土塁跡が残りかつてはそこに門があったとされる。 |
【不動坂の土塁跡】 | 【不動坂の土塁跡】 | |
【不動坂の門跡と土塁跡】 逆光となっている土塁の上には櫓があったとされる。 |
【櫓跡】 | 【不動坂】 | |
− | |||
【不動坂脇の高屋不動明王】 | 【高屋不動明王】 | − | |
【安閑天皇皇后春日山田皇女御陵へと続く道】 | 【宮内庁注意書き】 | 【安閑天皇皇后春日山田皇女御陵】 |