城名 防己尾城(別名:吉岡城、亀山城)
住所 〒680-1439
鳥取県鳥取市金沢
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 平山城
天守構造 不明
築城主 吉岡定勝
築城年 天正7年(1579)
主な改修者
主な城主 吉岡氏
位置 北緯35度30分18秒
東経134度8分1秒
地図 本郭跡
二郭跡
三郭跡
堀切跡
土塁跡
【解説】
この城の正確な築城年代は不明である。記録上では16世紀中期頃には元になる城は築城されていたと云われている。少なくとも天正年間の1579年頃には山名氏を主家として仕えていた吉岡定勝の手により平山城の状態にはなっていたと云われており、江戸時代までこの城は防己尾城ではなく吉岡城・亀山城と呼ばれていたらしい(これらの名称は他の城とかぶるためここでは便宜上防己尾城で統一する)。
 
もともと吉岡氏は防己尾城から南に約1.5kmにあった六反田の丸山城を拠点としていたが、籠城時の防衛力に難があったため、丸山城から見て約2km南の蓑上山城に居を構えた。しかし防衛力は各段にあがったもののあまりに峻険かつ深山だったため、防己尾城に居を移した。

天正8年豊臣秀吉による第1次鳥取城攻撃の際は主家の山名豊国が鳥取城で3ヶ月の籠城戦の末、織田方に降伏、さらに入れ替わりにやってきた毛利方に降伏。その後豊国の織田方への出奔もあり、吉岡氏・防己尾城共に特に活躍はなかった。

豊国が出奔してしまったが、吉岡氏は毛利方に領土を安堵され、翌年の天正9年、第2次鳥取城攻撃の際、毛利方の吉川経家の元で奮戦、この城に篭って遊撃していた。 それに懸念を抱いた秀吉は鹿野城守将・亀井茲矩に攻略の命を下した(茲矩側が懸念を抱いて進言し自ら防己尾城攻略に向かったという話もある)が、その動きを察知した吉岡氏は城周辺の竹林を切り払って先を槍のように尖らせるなどの準備をし近隣の村人とともに籠城、対抗の構えを見せる。

この城を攻め落とそうと2,3度戦闘が起こったものの、吉岡氏側が亀井氏本陣を突き崩す寸前まで持っていったとか、秀吉子飼いの多賀文蔵が千成瓢箪の馬印を定勝の弟右近に奪われ奪還しようとした所討死したとか、秀吉本陣まで参戦し亀井氏は陸側から秀吉は湖側から一斉攻撃を行ったものの竹槍や落石攻撃などで予想以上に被害を受け秀吉軍は撤退を余儀なくされた。

秀吉は茲矩に兵糧攻めの指示を出し鳥取城包囲に戻り、茲矩はこの城にも兵糧攻めを実行。城内の兵糧が尽き、籠城していた村人も次第に城を抜け出して城内の人数はわずかとなり、敗北を悟った定勝は周囲の者に城を落ちるように命じ、自らも夜陰に紛れて船で脱出、落城した。

その後この城は焼き払われ、廃城になり、再建されることはなかったと思われる。 脱出に成功した吉岡定勝は、毛利氏のところに一時いたものの、毛利氏の本拠である安芸国など諸国を放浪の末、因幡国に戻り帰農したと云われる。


【感想】
城は2つの山を利用して造られているがその間の谷間には町家があったとされ、変わった構造をしている。本丸側も二ノ丸側も数段の曲輪によって構成されているのも特徴。二ノ丸側は公園化が進み面影はないが本丸側には土塁や堀なども見受けられる。
何より日本一の池といわれる湖水池を望む眺望は素晴らしく、風も心地が良い。

鳥取駅よりバスを利用する場合は時間の確認を忘れずに。
1時間に1本あるいは2時間間が空く場合がある。最寄りバス停は「つづらお」だが、約1km歩いた場所(吉岡温泉へ行く側)に「松原」というバス停もあるのでチェックしてみると良い。


登城日 2017年4月29日(土)
LINK 防己尾城-wikipedia
城主家紋

                      

探訪

※つづらお城跡案内図(加筆有り)
注:上段・中段・下段は便宜上の仮称です。
城址入口】
つづらおバス停から南に行くとあります。
駐車場】 @町家跡】
町家跡を挟んで左側が本丸、右側が二ノ丸になります。
@町家跡】
一画にアーチェリー場があり、この付近に本丸への登城口があります。
A本丸跡登城口】 登城道】
【登城道の分岐点
下から登ってくると右が本丸最上段、左が本丸中下段へとつづきます。
本丸上段虎口】 【B本丸上段跡】
ここに城址碑と説明板があります。
防己尾城址碑】 説明板】
説明板の右横にもう一つの虎口があります。
登城道】
C本丸北東側】
本丸と二ノ丸の間の東には船入れのような場所になっている。
Cからみた出丸跡?】
岬の先端にはもう一つの丘があり、現在は「岬の展望台」となっている。昔は出丸で見入り台があったのかも知れない。
【D出丸?の虎口】
【D出丸?】 【D出丸?からの眺め】
日本最大の池・湖水池を一望できます。(池と湖の違いが良くわかりませんが)
【本丸中段・下段側の城道】
【E本丸中段】 【E本丸中段の土塁】 【本丸下段へ続く城道】
【F本丸下段】
周囲には土塁も見られる。
【F本丸下段】 【F本丸下段虎口】
【G横堀と土橋】 【G横堀と土橋】 【G横堀と土橋】
【本丸から見た堀切】
左手側に三ノ丸があるとされるが公園化もされず木々が生い茂っている。
【H堀切側本丸登城口】
道路部分が堀切跡になる。
【H堀切側本丸登城口からみた公園入口方向】
右手が三ノ丸跡、公園入口との間に「つづらお」バス停(鳥取駅から乗って降車するバス停)がある。
【本丸跡】 【I二ノ丸の登城口】 【二ノ丸跡登城道】
【二ノ丸分岐点】
左側が二ノ丸上・中段、右側は最高所と下段があります。
【J二ノ丸下段】 【K二ノ丸上段】
【K二ノ丸上段からの眺望】 【二ノ丸分岐点から最高所へ】 【L二ノ丸最高所】
中央に盛土(基壇)があり、祭式でも行われた場所なのだろうか?それとも狼煙台?
【本丸下段へと続く城道】 【M本丸下段】 【湖水池越しの防己尾城跡】
「松原」からのバスの車窓から。




Back



inserted by FC2 system