城名 若桜鬼ヶ城(別名:若桜城、鬼ヶ城)
住所 〒680-0701
鳥取県八頭郡若桜町若桜ほか
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 連郭式山城
天守構造 複合式天守(非現存)
築城主 矢部暉種
築城年 正治2年(1200)以後
主な改修者 木下重賢、山崎家盛
主な城主 矢部氏、八木豊信、木下重賢(重堅)、山崎家盛、
山崎家治
位置 北緯35度20分11.7秒
東経134度23分53.6秒
【歴史】
中世から近世への移行期を中心とする国指定史跡の城郭。

若桜鬼ヶ城は駿河国矢部氏の一族、矢部十郎暉種が築城したのが始まりで、矢部太良左衛門吉茂まで16代続きました。守護大名の山名氏と戦い、延徳元年(1489)に若桜の矢部館で自刃し、矢部一族は滅びました。

城は八東川と三倉川に挟まれた鶴尾山(標高452m)に築かれ播磨・但馬・美作の各街道の結節点に位置していたため、戦国期は尼子・毛利・織田など有力大名がこの地をめぐり、激しい攻防が繰り広げられました。

鳥取城落城後の天正9年(1581)に木下重賢(荒木平太夫)が2万石を領して入部しましたが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いのあと改易となり、山崎家盛が城主となった。家盛は山頂に総石垣の城を整備し、城下町も整備していったが、元和3年(1617)播磨の国より池田光政が因幡・伯耆の城主として、32万石で入国すると鬼ヶ城は一国一城令によって破却されました。

現在も石垣や土塁、空堀などの遺構があり、本丸跡には天守台が残っています。
また発掘調査で、全国的にも珍しい「廊下橋虎口」や全国でもここだけでしか確認されていない「行き止まり虎口」と呼ばれる特殊な虎口が発見されています。

若桜鉄道の若桜駅から徒歩約40分(本数は1時間に1本なので注意)。
JR鳥取駅からバスもあり時間によってはバスの方が早いです。

若桜鬼ヶ城跡には城山林道があり、山頂近くまで車で登ることができます。駐車場から主郭部まで徒歩15分。

【感想】
八幡山コースから登り始め六角石垣経由で頂上を目指すが六角石垣までかなり大回りするようです。帰りに使用した古城コースの方が早く頂上に行けるので頂上から六角石垣まで降りるのも良いかも知れません。車で馬場まで行けば楽ですけど、古城エリアまではいかないかもしれませんね。
頂上部は一国一城によって破城された状況が良くわかる。
本丸の石垣の破却跡が酷い、全体的には東側の破却が酷く感じ、西側に行くと比較的石垣が残っている感じがします。
公共機関でこの城に訪れた場合はバスや電車の時間にお気を付けください。

続日本100名城スタンプラリーが始まり訪れる人が増えているようですが、駐車場からスタンプを押して帰っていく人もいるようですね。

2回目の登城した時には獣柵が撤去されてました。

 
続日本100名城
スタンプ
スタンプ
設置場所
変更前
 ・二ノ丸内の作業小屋前
変更後
 ・若桜町観光案内所(若桜鉄道若桜駅前)
登城日 一回目:2017年4月30日(日)
二回目:2018年5月3日(木)
LINK 若桜町公式HP-鬼ヶ城跡-
わかさ観光ガイド-若桜鬼ヶ城跡-
若桜鬼ヶ城-Wikipaedia-
城主家紋 【檜扇に四つ目結】
(宇多源氏佐々木氏流)
山崎氏家紋

                      

 探訪

※ニノ丸跡にある説明板より

※古城地区説明板より
【若桜鬼ヶ城遠景】
手前のグランドは旧若桜小学校のグランドで右手に八幡山コースの登城口があります。
【八幡山コース登城口】 【登城口すぐの電気柵(内側より)】
青いハンドル(グリップ)をもって外して、中に入ります。外した後は、必ず元に戻してください。
【登城道】
登ってすぐはすごく狭いので気を付けてください。
【登城道】
ある程度登ると広くなります。
【展望台跡】
立入禁止の表示、ロープなどないが階段が既に歪み崩れているので上に登ろうという人はいないでしょうが、入らない方が無難です。
【登城道】 【展望台】
四阿(あずまや)には椅子も何もないが説明板があり、この付近が初期の若桜鬼ヶ城跡(古城地区)の様です。
【登城道と古城地区】
登城道右手が古城エリアになります。
【古城の切岸】 【古城の堀切】 【古城地区】
四阿方向に振り返ってみると、左側が古城エリア。本来は右の登城道はなく古城エリアを通って山頂を目指すのが本来のルートであったと思われる。
【分岐点】
ここで八幡ルートと古城ルートが合流、分岐する。
六角石垣経由で登場する場合右手方向に、三ノ丸経由にて登場する場合は左手上へ。今回往路を六角石垣経由、復路を三ノ丸経由で登城しました。
【登城道】
いきなり視野が広がるが上の右手方向に登城道が続きます。
【登城道】
【@六角石垣】
この上の郭の形が六角形になっています。
【@六角石垣】
石垣の形状は古く、山頂の遺構 (秀吉平定後の木下氏時代) より前の構築とされる
【@六角石垣上の郭】
四阿には説明板があり、「当時の利用法は不明ですが立地などから山頂部を守るための拠点や敵を監視する物見だったと考えられます。
【A土塁跡】
郭の右側には土塁の一部が残されており、中世城郭としての側面も垣間見ることが出来ます。
【登城道】 【B郭の石垣】
【B郭の隅石】 【B郭跡】 【BとC間の登城道】
【BとC間にあった平場】 【C付近の電気柵】
ここもハンドル(グリップ)を外して中へ。外したハンドル(グリップ)は元に戻してください。
【C手前付近の登城道】
【Cの石垣】
階段があり登るとこの石垣があります。
【D付近の石垣】 【D付近の石垣】
【E石垣】
この上にも石垣があったようだが破却の跡が残っている。
【H下の石垣】 【Gの枡形虎口手前から見た石垣】
【F部分の石垣】
横矢が掛かる様になっている。
【G枡形虎口】
破却後の石垣が散乱している。
【H手前の石垣】
【H破却された本丸の石垣】
破却跡が一番酷く残る部分
【I二ノ丸跡】 【I二ノ丸から見たI方向】
【大手道の石垣】
右側の石垣が三ノ丸の石垣になっている。
【電気柵の電源】
この小さな太陽電池が電源の様です。DC12Vで効果があるのか?どおりで電気柵内にも鹿のふんが落ちている訳ですね。
【J大手門枡形虎口跡】
枡形内に大量の破却された石垣が散乱しています。
【J大手門枡形虎口内部】 【J大手門枡形虎口跡】 【K三ノ丸(広場)跡】
【K三ノ丸跡より見た若桜城下】 【L三ノ丸と二ノ丸間の城道】
両側に石垣があります。
【I二ノ丸跡】
【I二ノ丸跡にある城址碑】 【I二ノ丸跡】
左手の小屋にスタンプが置かれています。
【M廊下橋虎口跡】
二ノ丸には御殿でもあり本丸との行き来は廊下橋を通って行われていたのであろう。
【N本丸虎口の手前部分】 【N本丸虎口】 【O本丸跡】
【Q天守台】
天守台東側は破却がひどく土がむき出し状態になっている。
P行止り虎口跡】
全国でここにしかない虎口だが、破却がひどく写真右側(東側)が崩れているため全容はよくわからない。
【P行止り虎口跡】
【Q天守台虎口】 【Q天守台】 【Q天守台からの眺望】
左手側は但馬へ通じ、右側は播磨へ通じ、若桜鬼ヶ城が街道を抑えるための要衝ということが良くわかります。
【Rホオヅキ段】
天守の南側に位置する郭。
【S搦手門付近】 【S搦手門跡】
【Rホオヅキ段】 【Rホオヅキ段から見た天守台】 【Rホオヅキ段・本丸石垣】
【Rホオヅキ段の石垣】 【Rホオヅキ段石垣】 【城址南側の電気柵】
ハンドル(グリップ)を外し先に進めば馬場跡に行けます。外したハンドル(グリップ)は元に戻しましょう。
【大堀切】
馬場跡と主要部の間に大堀切があるが、現在は埋まってしまったのでしょう深さがそれほどではなくなっています。
【大堀切】 【大堀切】
【馬場跡】
現在は駐車場になっている。
【駐車場にある案内板】 【馬場跡】
【大手道】
左側に電気柵があります。
【大手道から見た三ノ丸】 【古城コース登城口】
第一町民体育館裏手にあります。
店名:ダイニングカフェ新
住所:〒680-0701
   鳥取県八頭郡若桜町若桜298
TEL:0858-71-0002
営業時間:
ランチタイム11:00〜15:00(14:30L.O.)
cafeタイム 15:00〜17:00
定休日:月曜日、第三日曜日

お店は築125年の古民家で、店主自身が育てている豚を使用した豚肉料理を美味しく味わえます。
写真は土日限定ランチだった上ロースかつ定食、ソースは岩塩、からし醤油、自家製とんかつソースの三種類出てくるので一切れ一切れ味を変えて食べれます。 




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