城名 羽衣石城
住所 〒689-0733
鳥取県東伯郡湯梨浜町羽衣石
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし(層塔型3重3階模擬)
築城主 南条貞宗
築城年 貞治2年(1366)
主な改修者
主な城主 南条氏、尼子国久、毛利元経
位置 北緯35度26分14.32秒
東経133度53分54.45秒
地図 模擬天守
本丸跡
二ノ丸跡
三ノ丸跡
帯曲輪跡
【歴史】
室町時代から安土桃山時代まで南条氏が居城。
東郷湖の南、標高370m余の羽衣石山山頂に、貞治5年(1366)南条貞宗によって築城されたと伝えられる。
貞宗以後、歴代にわたって居城したが、8代宗元のとき尼子経久に攻撃され、城を奪われた。尼子氏が毛利氏によって滅ぼされたため、宗元は羽衣石城に復帰した。

9代元継の代には羽衣石城を舞台に、毛利氏と激しい攻防戦が繰り広げられた。その後、10代元忠は関ヶ原の戦いで西軍に与したため改易となり、廃城となった。

現在曲輪、土塁、石垣、堀切、井戸などの遺構が整備され、山頂には3階建ての天守閣が再現されている。また発掘調査で木戸跡遺構や陶磁器類、鉄砲玉などが発見された。

参考
JR山陰本線松崎駅から、タクシーで約20分運賃は\2,000程度
JR山陰本線倉吉駅から、タクシーで約25分運賃は\2,500程度



【感想】
公共機関を使用しての登城は難易度が高い。最寄りのバス停からも5,6km以上ある。
タクシーを使用したほうが無難。
車で来られる方は無料の駐車場があるのでそこに止めてから登城できる。案内板には15〜20分とあるが、井戸など写真を撮りながら登るのであれば40〜50分考えていた方が良い。
山上は整備され非常に見晴らしの良い場所なので晴れてると気持ちが良い。


 
登城日 2017年5月2日(火)
LINK 鳥取県公式HP-羽衣石城跡の道
羽衣石城-Wikipaedia-
城主家紋 【夕 顔】
(宇多源氏佐々木氏流塩冶氏流)
南条氏家紋

                      

 探訪

※羽衣石城跡周辺案内図より(加筆有り)
【駐車場】 【登山道(羽衣石経由)】 【登城道】
登城道は整備されているので比較的登りやすい。
【八幡神社との分岐点】
八幡神社は館跡の様ですが今回は立ち寄っていません。
【登城道】 【登城道途中の石垣】
【羽衣の池(お茶の水井戸)との分岐点】 【羽衣池(お茶の水井戸)】
ここまで来る途中道が寸断されている箇所があるので注意が必要。
【羽衣池(お茶の水井戸)付近の石垣】
【羽衣の池(お茶の水井戸)】
昔、天女がこの井戸で水浴している間に羽衣を農夫に奪われてしまった伝説は有名です。(羽衣伝説)
【四阿】 【崩落のせいで壊れた四阿】
【巨石群】
四阿周辺で上を見るとこのような巨石が沢山あり、落ちてこないか心配である。
【天女のあしおと(羽衣石)】 【羽衣石下の平場】
【羽衣石下に下りるための階段】 【天女のあしおと(羽衣石)】
天女はこの大岩に羽衣を掛けて、池で水浴をしたそうです。池とこの岩って相当離れていますが…
岩の下の祠は天女を祀っている祠です。
【登城道】
羽衣石を迂回するように階段が作られている。
【登城道】 【山上の虎口】 【帯曲輪(下段)】
【帯曲輪(下段)より見た模擬天守】 【帯曲輪(下段)】 【帯曲輪下段】
コンクリートの道があるが地震の影響か左側に傾いているので通る際は注意が必要。コンクリートではなくその右側を通った方が良い。
【三ノ丸跡】 【帯曲輪(上段)へと登る城道】 【帯曲輪(上段)】
ここから二ノ丸跡登ることが出来る。
【帯曲輪(上段)】 【帯曲輪(上段)と本丸切岸】 【帯曲輪(上段)と本丸切岸】
【帯曲輪(上段)より見た三ノ丸跡】 【帯曲輪(上段)より見た模擬天守】 【帯曲輪(上段)にある模擬櫓(展望台)】
【帯曲輪(上段)より見た模擬天守】 【模擬櫓(展望台)】
無料の双眼鏡が設置されている。
【帯曲輪(下段)】
【展望台からの眺望】
日本海、東郷湖などが見え、風が心地良い。
【模擬櫓(展望台)】 【帯曲輪(上段)から見た模擬天守と模擬櫓(展望台)】
【帯曲輪(上段)】 【虎口跡】
先に進んでみたが崩れておりこれより先には進めませんでした。
【本丸へと続く城道】
【本丸跡】 【ふれあい広場登城図】 【羽衣石城・歴史説明板】
【本丸跡】 【城址碑】 【模擬天守】
この建物は平成2年に建てられたものです。
【本丸跡から見た模擬櫓(展望台)】 【二ノ丸跡】 【二ノ丸跡】
【帯曲輪(上段)から見た二ノ丸跡・切岸】 【天然の塁壁】
三ノ丸跡から降りてくるとこの塁壁を見ることが出来る。




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