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城名 | 椿井城(別名:椿井山城) | ||
住所 | 〒636-0911 奈良県生駒郡平群町椿井 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 山城 | |||
天守構造 | − | |||
築城主 | 椿井氏 | |||
築城年 | 不明 | |||
主な改修者 | 松永氏、島氏 | |||
主な城主 | 椿井氏、松永氏、島氏 | |||
位置 | 北緯34度37分25.3秒 東経135度42分56.9秒 |
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地図 | 1 | 南郭跡 | ||
2 | 南副郭跡 | |||
3 | 堀切 | |||
4 | 土塁 | |||
5 | 石垣 | |||
【歴史】 椿井城に関して歴史的資料がないため諸説ある。 矢田丘陵の稜線上に築かれた山城跡。南北が300mもある細長い城で、多くの曲輪や深い切り通し堀、土塁が残っておりごく一部に石垣も見られる。中央部がやや低く、城域が南北に別れ、高い北側部分が中心の主郭にあたる。 西側山裾と主郭部との比高差が180mもあり、西側の平群谷への見通しが常に良く、谷の南半を抑える要衝に位置し、西側が城の防御正面と考えられる。 城主は当初椿井氏が築城し後に嶋氏が取って変わったと考えられ、戦国末には筒井傘下の嶋左近と信貴山城に入った松永久秀との間で幾度もの争奪戦が繰り広げれられたと考えられる。 天正8年(1580)織田信長が筒井順慶に命じ、郡山城を残して大和の諸城を破却させており、本城もこの時に放棄されたとみられる。 最近では松永勢が信貴山城の出城として築き、久秀が滅びたあと石田三成に仕えるまでの間、 島左近が入ったのではないかという説が浮上している。 確かに城跡の東斜面は急峻で、奈良盆地側の筒井勢に備えて人工的に削られたとも見える。 また、平群(へぐり)谷をおさえた力のある久秀の信貴山城から見てこの城は西に進出しすぎており、目障りであったと思われるため信貴山城の出城と考えた方が自然である。 【感想】 椿井城は町興しの一環として整備されていたが、人が来すぎて遺構が破壊され現在立入が出来るのは南郭のみとなっている。本来の主郭がある北郭に入れないのは残念ですが南郭だけでも堀切や石垣を見ることが出来ます。 |
登城日 | 2017年5月21日(日) | ||
LINK | 平群町観光HP-椿井城- | |||
椿井城-Wikipaedia- | ||||
城主家紋 | 【蔦】 (出自不詳) 松永氏家紋 |
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【三つ柏】 (藤原姓) 島氏家紋 |
【椿井城跡遠景】 | 【椿井城跡指標】 | 【椿井井戸】 今も清水が湧出する古井戸で、聖徳太子と平群神手将軍の逸話が伝えられている。 |
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【椿井井戸】 | 【椿井井戸】 透明度の高い井戸です。 |
【椿井井戸登城口】 | |
【椿井井戸登城口指標】 | 【宮裏山古墳】 椿井井戸登城口から登ってすぐの所にあります。 |
【登城道】 | |
【登城道】 | 【登城道】 ここを左折します。 |
【登城道】 | |
【土橋・堀切】 | 【堀切】 | 【南副郭虎口】 | |
【南副郭跡】 | 【南副郭跡指標】 | 【南副郭跡】 | |
【堀切】 | 【堀切】 | 【堀切】 | |
【堀切】 | 【南郭虎口】 | 【南郭の石垣】 | |
【南郭跡】 | 【南郭土塁】 | 【南郭跡】 | |
【南郭群跡指標】 | 【南郭からの西側眺望】 左側には信貴山城跡が見え、写真には写っていないが右側には伊吹山が見えます。 |
【南郭北側虎口】 | |
【南郭群と北郭群の境目】 左側には大手道があります。 |
【北郭群入口】 現在は整備中で立入禁止となっています。 |
【大手道虎口】 | |
【大手道虎口】 | 【大手道】 | 【大手口(椿井春日神社登城口)】 | |
【椿井春日神社】 | 【椿井春日神社】 | 【宮山塚古墳】 | |
【平等寺春日神社指標】 この指標の先に行くと民家の庭先を通りますのでお静かにしてください。 |
【平等寺春日神社】 | 【平等春日神社】 | |
ジャンル:レストラン 店名:自然派カフェ&レスト hanana 住所:〒636-0903 奈良県生駒郡平群町平等寺75- TEL:0745-45-8511 営業時間:9:00〜18:00 定休日:年始年末 農業の町、平群町の豊かな自然の恵みを素材として、野菜たっぷりの特製料理を提供しています。 写真は”とれたてランチ”¥820-(週替わり) |