城名 大溝城(別名:鴻溝城、高島城、近江高島城)
住所 〒520-1121
滋賀県高島市勝野
入場時間
入場料
指定文化財 本丸跡:高島市指定文化財
惣門:高島市有形文化財
城郭構造 平城(水城)
天守構造 不明
築城主 津田信澄
築城年 天正6年(1578)
主な改修者 分部光信
主な城主 津田信澄、丹羽長秀、加藤光泰、生駒正親、京極高次、
分部氏
位置 北緯35度17分33秒
東経136度00分44秒
地図 本丸跡
天守台跡
乙女ヶ池
三ノ丸跡
惣門
【歴史】
織田信長に謀叛を起こして殺害された弟織田信行(信勝)の嫡男で、明智光秀の娘を正室とした津田信澄の居城である。

天正6年(1578)、近江国高島郡を領した信澄が、明智光秀の縄張りによって築城して居城とした。
信澄は父信行の死去後、信長・信行兄弟の生母・土田御前の助命嘆願により許され、信長の命令により柴田勝家の許で養育された。このため、織田氏を名乗らず津田氏を称したともいわれるが、智勇に優れた武将に成長し、織田家で厚遇された。

天正10年(1582)、本能寺の変で信長が光秀により殺害されると、明智氏との内通を疑われて、織田信孝(信長三男)と丹羽長秀の軍勢に襲撃され、摂津国の野田城で殺害された。信澄の死後、大溝城には丹羽長秀、加藤光泰、生駒正親、京極高次が入れ替わりで入城した。

元和5年(1619)、分部光信が伊勢国の上野城から2万石で入封した。このころの大溝城は三の丸を残して破却され、大溝陣屋となっていた。

JR近江高島駅前の公立高島総合病院の裏手に大溝城の本丸跡がある。本丸跡には天守台の石垣などが残っている。また、本丸跡の前にある乙女ヶ池は、大溝城を取り巻いていた外堀の一部である。

JR湖西線近江高島駅から徒歩約5分。
(「日本の城がわかる事典」より)

【感想】
駅から程近くにある高島市民病院の駐車場を通っても本丸跡には行けるようです。この市民病院の駐車場が二ノ丸跡にあたると思われます。
分部神社と介護老人保健施設陽光の里の部分が三ノ丸跡になる。
外濠跡の乙女ヶ池は景観も整備され、その場所が外濠とは思えないほどで散策にはちょうど良いです。
陣屋の遺構である惣門は民家と使用されていたこともあり、保存状態は屋根も歪みあまり良くないように見えます。


 
登城日 2017年8月19日(土)
LINK 高島市観光情報-大溝城跡-
大溝陣屋-Wikipaedia-
城主家紋 【木瓜】
(平氏の子孫か?)
織田氏家紋
【丸に三つ引両】
(藤原南家工藤氏流)
分部氏家紋

                      

 探訪

※説明板より
【三ノ丸跡】
この先を右折すると本丸へ行けます。
【内堀跡と本丸跡】 【本丸跡・天守台石垣】
【本丸跡】 【城址碑】 【虎口】
【本丸石垣】 【本丸石垣】 【本丸跡】
【天守台跡】 【本丸北側】 【本丸石段】
【天守台石垣】 【天守台石垣】 【内堀跡】
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