powered by 地図Z |
城名 | 和歌山城(別名:虎伏城、竹垣城) | ||
住所 | 〒640-8511 和歌山県和歌山市7番丁23 |
|||
入場時間 | 開園時間 3月〜11月:午前9時〜午後5時(入場は4時30分まで) 12月〜2月:午前9時〜午後4時30分(入場は4時まで) 休館日:12月29日〜12月31日 |
|||
入場料 |
大人(高校生以上) 350円、小人 170円
|
|||
指定文化財 | 重要文化財(岡口門・続塀) 国指定史跡 国の名勝(西の丸庭園) 和歌山市文化財(追廻門) |
|||
城郭構造 | 梯郭式平山城 | |||
天守構造 | 連立式層塔型3重3階(1605年または1619年築・1850年再) 外観復元(1958年再) |
|||
築城主 | 豊臣秀長 | |||
築城年 | 天正13年(1585年) | |||
主な改修者 | 浅野幸長、徳川頼宣 | |||
主な城主 | 豊臣氏、浅野氏、徳川氏 | |||
位置 | 北緯34度13分39.46秒 東経135度10分17.84秒 |
|||
地図 | 1 | 大手門 | ||
2 | 岡口門 | |||
3 | 追廻門 | |||
4 | 本丸御殿跡 | |||
5 | 御橋廊下 | |||
100名城 スタンプ |
||||
【概要】 天正13年(1585)豊臣秀吉が紀州を統一後,弟の秀長に命じて和歌山城の築城をはじめました。普請奉行には藤堂高虎・羽田正親・一庵法印が任命されました。しかし,築城当時の規模等についてはよくわかっていません。翌14年には領主羽柴秀長の城代として、桑山重晴が在城し、その後慶長5年(1600)には浅野幸長が37万6千石をもって入城しました。 元和5年(1619)徳川家康の第十子頼宣が55万5千石を領して入城,城郭の大改修があり,徳川御三家の居城として,250年に渡り紀州徳川家治政の基を開きました。かくして和歌山城は西国第一の要衝として,その偉容を誇っていましたが弘化3年(1846)には天守閣に落雷し,大天守・小天守・多聞などを焼失しました。当時幕府の制として天守閣の再建は許可されませんでしたが,紀州藩は幕府と特別の関係にあったので再建を許され,嘉永3年(1850)に工事が竣工し旧態に復しました。 明治4年(1871)廃藩置県によって和歌山城は廃城となり,明治34年(1901)に和歌山公園として初めて公開されました。 昭和6年(1931)には文部省より史跡に指定され,昭和10年(1935)5月には天守閣,隅櫓,楠門等が国宝建造物に指定されました。しかし昭和20年7月9日,不幸にして戦災を蒙り,その英姿を一夜にして焼失してしまいました。戦後10余年を経て,再び郷土の象徴として和歌山城再建の気運が高まり,各方面からの支援と協力を得て,昭和33年10月竣工式を行うに至り,再び虎伏山の空高くその雄姿を誇っています。 【感想】 小規模ながら連立式の天守は見栄えがいいですね。 表坂登り口周辺の石垣は見事なものですし、 本丸裏側(天守の埋門付近)より下に下る道は細道ですが昔を偲ばせる道で、木々の合い間から廊下橋が見えたりします。 廊下橋と天守が一緒に見える場所は、お城の北側になりますが、撮影には午前中のがよさそうです。 お城全体をゆっくり時間をかけて見て回ることをお勧めします。 |
スタンプ 設置場所 |
和歌山城天守閣楠門受付内所 | ||
登城日 | 一回目:2008年12月7日(日) 二回目:2013年12月14日(日) 三回目:2016年12月5日(月) |
|||
LINK | 和歌山城管理事務所 | |||
和歌山観光協会HP | ||||
和歌山城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【五七の桐】 豊臣家家紋 |
|||
【丸に違い鷹の羽】 (清和源氏土岐氏流) 浅野家家紋 |
||||
その他 | 和歌山城内の庭園 |
※案内板より |
||
【一の橋と大手門】 浅野時代に大手門となった。形式は高麗門。 門右手の石垣の上には月見櫓跡がある。 |
【大手門付近の堀】 | 【大手門付近の堀】 |
【大手門】 旧一之橋御門。 |
【井戸】 大手門入って左、多聞櫓跡前。 |
【一の橋の樟樹】 推定樹齢450年。和歌山県指定天然記念物。 |
【食違い虎口】 右手の石垣上に太鼓櫓があった。 左手側には一中門続櫓があった。 写真正面の石垣は切込ハギで大きな石、鏡石がある。 |
【虎伏像】 天守の建つ丘は49m、虎が伏しているように見えるので虎伏山という。大正11年につくられたが、戦争で軍に持って行かれ、昭和34年に再建された。 |
【表坂登り口】 |
【岡口門】 桑山時代には大手門だった。 |
【合阪】 向かい合った階段のことだが、昔は土を固めた坂だった。 |
【井戸】 岡口枡形内。 |
【表坂】 | 【門跡】 表坂を登りきったところの門跡。 |
【松の丸櫓跡からの眺望】 表坂を登りきった場所が松の丸。 |
【本丸御殿下の石垣】 石垣は野面積み。 |
【七福の庭】 本丸の庭にあったものを移してきた。石で七福神を表している。 |
【本丸の登城口】 |
【銀明水】 裏坂登り口の中腹にある井戸。 |
【本丸裏門跡】 | 【本丸御殿跡前階段】 |
【本丸御殿跡】 今は城内の給水施設になっている。 昔はここに御殿があったが不便であったため二の丸に移りました。明治時代に取り壊されたが御台所だけはそのまま小倉の光恩寺に移築された。 |
【天守閣】 本丸御殿跡石段より |
【天守と裏坂登り口】 裏坂を登りきった個所には本丸裏門跡がった。天守方面に行く側には、天守一之門があった。 |
【連立天守(天守曲輪)一望】 左側より、乾櫓、ニ之門櫓、天守ニ之門、多聞、大天守。 |
【天守ニ之門】 楠で出来ているので別名:楠門ともよばれる。 |
|
【ニ之門櫓】 | 【乾櫓】 | 【大天守と小天守】 小天守は登閣口となっている、屋根は「唐破風」でその奥の屋根の飾りは銅板で「青海波」という模様になっている。 |
【御台所】 | 【天守からの眺望】 眼下は天守曲輪、先には和歌山湾も一望できる。 |
【埋門】 天守曲輪裏側にある。 いざというときニ之門を閉じここから逃げる脱出口。 |
【黄金水井戸跡】 埋門から下に行く道を下ると発見することができる。 |
【石段にある刻印】 石段にあるのは珍しかったので撮影。 |
【砂の丸】 昔は砂丘になっていたのでこの名前が付いた。 |
【鶴の門跡】 | 【鶴の渓】 浅野時代にここで鶴を飼っていた。今は鶴型の模型?が立っている。 |
【山吹渓】 石垣は野面積み、石垣の上に山吹が咲いていたので名付けられた。 |
【御橋廊下】 藩主と御つきの人だけが二の丸と西の丸を行き来するために架けられた橋。そのため、外から見えないように壁と屋根が設けられ、部屋の廊下のようなつくりになっている。 |
【御橋廊下】 西の丸側入り口。 |
【御橋廊下内部】 この廊下、足の裏が刺激され痛いです。 |
【穴蔵状遺構】 | 【二の丸大奥部分】 | 【御橋廊下】 |
【二の丸御殿跡】 | 【二の丸井戸】 | 【切手門跡】 |
【北堀から見た天守】 | 【天守と御橋廊下】 北堀側より |
【天守と御橋廊下・ライトアップ】 もう少し時間が経つと御橋廊下もライトアップするそうです。 |
【西ノ丸跡】 | 【和歌山城西側(北西部)】 | 【追廻門】 |
【雁木】 追廻門から入り護国神社へ向かう側。 |
【西側石垣上】 | 【不開門高石垣上】 この上に隅櫓があったのであろう。 |
【不開門跡】 現在は城の南側駐車場入口として利用されている。 |
【三年坂】 和歌山城とその南側に続く岡山砂丘の間の切通し跡。現在は県道になっており往時より拡張され掘下げられている。 |
【南堀(空堀)跡】 |
【南堀(空堀)跡】 | 【岡口門と天守】 100名城スタンプのデザインはここから撮ったもの。 |
【南ノ丸虎口】 岡口門側よりの虎口。 |
【南ノ丸跡】 現在は動物園になっており市民の憩いの場となっている。 |
【南ノ丸跡より見た天守】 | 【新裏坂登城口】 本丸の西側に繋がる。 |
ジャンル:ラーメン 店名:井出商店 住所:〒640-8329 和歌山県和歌山市田中町4-84 TEL:073-424-1689> 営業時間:11:30〜24:30 定休日:木曜 和歌山駅西口を出て始めての交差点左折、4ツ目の信号右角。超有名な和歌山ラーメンのお店、ラーメン博物館などで食べたことあるけど、やはりご当地で食べるとその味は格段ですね。時間帯もちょっとずれていると、あまり待てずに食べれました。 |