城名 三宅御土居(別名:益田氏館)
住所 〒698-0006
島根県益田市三宅町
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡(益田氏城館跡として)
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 益田兼見
築城年 室町時代
主な改修者 不明
主な城主 益田氏
位置 北緯34度40分36.4秒
東経131度51分21.9秒
地図 土塁
【歴史】
三宅御土居跡は、鎌倉〜安土桃山時代(約900〜400年前)に石見地域を中心に活躍した豪族、益田氏の居館跡です。築造した人物や時期は、記録にないため、はっきりとわかりませんが、一説には南北朝時代に益田兼見によって造られたといわれています。

館は、益田川の河口から約5km遡った微高地上に立地し、下流には益田平野が広がり、上流には古代より採掘が続けられていた都茂丸山鉱山や、美都・匹見の豊かな森林資源が存在し、益田川の水運を掌握する上で重要な地であったと考えられています。

関ケ原の戦いの後、20代元祥が長門国の須佐へ移ると館は廃絶し、跡地には益田氏の旧臣によって泉光寺が創建されました。

平成16年9月30日、居城・七尾城跡と併せて「益田氏城館跡」として国の史跡となり、平成20年には、益田氏の移封後400年にわたりこの地を守ってきた泉光寺が移転しました。
(説明板より)

【感想】
御土居跡には東西に土塁が残り、当時の広さを感じることは出来ます。ただ移転した泉光寺の名残もあり、墓石はないもののその敷居のコンクリートは残っているのが残念です。
本堂が建っていた場所は空き地状態なので今後何か整備されるかもしれませんね。

 
登城日 2018年4月30日(月)
LINK 三宅御土居跡-Wikipedia-
益田氏城館跡「三宅御土居」-益田市ホームページ
城主家紋 【九枚笹】
(藤原氏道兼流御神本氏)
益田氏家紋

                      

 探訪

※説明板より

※説明板より
【三宅土居跡南側に流れる益田川】
昔はこの川が堀として利用されていた。
【三宅土居跡・南側】 【帯曲輪跡】
【掘立柱建物跡】
平面復元されています。
【説明板】 【おどい広場】
広場北側付近からみた御土居跡
【堀跡】 【堀跡・説明板】
御土居の周囲は堀と川で守られていました。東西の土塁の外側は幅約10m、深さ2.5〜3.0mで急角度で削られた箱堀でした。北側は約1.5mのやや浅い堀で、緩やかな斜面で階段状になっていました。
【堀跡付近から見た御土居南側付近】
【井戸跡】 【御土居・西側】 【西側土塁】
【西側土塁】 【御土居東側】 【東側土塁・説明板】
【東側土塁】 【三宅御土居跡・北側】




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