城名 浜田城(別名:亀山城)
住所 〒697-0027
島根県浜田市殿町
入場時間
入場料
指定文化財 島根県指定史跡
城郭構造 梯郭式平山城(海城とも呼ばれる)
天守構造 独立式望楼型三重(非現存)
築城主 古田重治
築城年 元和5年(1619)
主な改修者
主な城主 古田氏、本多氏、越智松平氏
位置 北緯34度54分10.47秒
東経132度4分23.97秒
地図 本丸跡
二丸跡
三丸跡
出丸跡
移築門
続日本100名城
スタンプ
【歴史】
浜田城跡は別名亀山城とも呼ばれ、北の松原湾と南から西にかけて流れる浜田川によって囲まれた標高68mの独立丘陵上に築かれた平山城です。

元和5年(1619)に伊勢松阪から古田重治が54,000余石の藩主としてこの地に移り、元和6年(1620)2月に築城工事に着手、同年11月には地普請が終わり、元和9年(1623)5月には城および城下町が整ったようです。

本丸の北西隅には高さ14mの三重櫓の天守があり、二ノ丸には焔硝蔵、本丸城番所、時打番所などが配置され、中ノ門外の三ノ丸には御殿、諸役所、御用米蔵などがありました。城下町は、城の周囲に武家屋敷を、浜田川以南に町家を設けています。

浜田城主は、古田家(2代・30年)から、松平周防守家(5代・111年)、本多家(3代・11年)、再び松平周防守家(4代・68年)、そして松平右近将監家(4代・31年)と変わり、慶応2年(1866)7月に第二次長州征伐で自焼退城となり、その役割を終えました。
(説明板より)

【感想】
石垣が良く残り、城の構造が良くわかるが出丸周辺は本丸まで石段を通してしまったため、その部分は改変され本来の構造は説明板を見て思い描くしかありません。
戦国期を過ぎたあとの築城の為、枡形などの防御機能があるのはニノ門しか見られないため時代背景が伺えます。

 
スタンプ
設置場所
浜田護国神社社務所
登城日 2018年5月1日(火)
LINK はまナビ-浜田城跡-
浜田城-Wikipedia-
城主家紋

                      

 探訪

※説明板より
【大手門跡から見た城址】 【大手門跡】 【大手門跡】
【城址碑と説明板】 【浜田城復元CGイメージ】 【移築門(津和野城の門)】
津和野城の門を浜田県庁の門として使用していたものをこの場所に移築しているが、この場所には本来門はありませんでした。
【登城道】 【登城道三丸石垣】 【登城道】
【三丸虎口と出丸石垣】
この石段正面に出丸石垣があり、それに沿って右に曲がると三丸があります。
【三丸と出丸石垣説明板】 【出丸石垣】
出丸石垣を明治34〜36年にかけて撤去し、階段を整備したために、石垣の裏込め石が露出したものです。
【出丸(別名:本丸脇千人溜り)跡】
浜田城の出丸は、本丸や二丸、三丸と呼ばれる中心的な曲輪から唯一西側に突き出し、独立的な曲輪として配置されています。
【出丸石垣と本丸石垣】 【出丸石垣】
【本来はなく整備された石段】
この石段により出丸付近は改変されてしまっている。ここを右に曲がると三丸になる。
【出丸跡】 【三丸石垣】
【三丸跡虎口】 【三丸跡】 【三丸跡東側】
【三丸跡東側虎口】 【三丸跡東側虎口】 【三丸跡東側虎口石垣】
【三丸跡東側虎口石垣】 【二ノ門跡】
ニノ門は階下に門、階上に長屋をのせた櫓門で、両脇の石垣上にはその長屋に接して塀を廻らせていました。構造は枡形虎口で浜田城では本丸の正面に位置するこのニノ門にしか、この様な構造を採用しておらず、重要な城門です。
【ニノ門跡】
【ニノ門跡・枡形虎口】 【二丸跡】 【二丸跡・北側虎口石垣】
【二丸跡・北側虎口石垣】 【本丸跡石垣】 【本丸一ノ門跡】
【本丸一ノ門跡】 【本丸一ノ門跡】 【本丸一ノ門跡】
【本丸跡】 【本丸からの眺望・「外ノ浦の湊」】 【本丸からの眺望・「海と浜田城」】
【本丸からの眺望】 【本丸・三重櫓跡】 【中ノ門跡】
【中ノ門跡石垣】 【裏門(搦手門)跡】 【外ノ浦湊から見た城址】




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