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城名 | 筒井城(別名:筒井順慶城) | ||
住所 | 〒639-1123 奈良県大和郡山市筒井町 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 平城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 筒井氏 | |||
築城年 | 永享元年(1429)以前 | |||
主な改修者 | 筒井順慶 | |||
主な城主 | 筒井氏、越智氏方、古市氏方、松永久秀方 | |||
位置 | 北緯34度37分11.9秒 東経135度46分58.1秒 |
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地図 | 1 | 本丸跡 | ||
2 | 堀跡 | |||
3 | 城址碑 | |||
4 | 虎口 | |||
5 | − | |||
【歴史】 筒井城は、主郭部を取り囲む内堀のほか、周囲の広い範囲を大きく外堀で取り囲む「惣構え」と呼ばれる構造を取っています。外堀で囲まれた範囲は東西約500m、南北約400mに及ぶ広大なもので、奈良県内の中世平地式城館の中では最大級の規模を誇ります。また、筒井城のある場所は、東西に走る奈良街道と南北方向の吉野街道が交わる部分にあたり、交通の要衝を押さえています。 城の中心となる主郭部は、この案内板があるフェンスで囲まれた区域から、東側の菅田比賣神社を含む東西約120m、南北約100mの範囲と想定されています。主郭の周囲には内堀が巡らされ、中心部に城主が住む館がありました。発掘調査では、館に伴う大規模な石組の井戸が見つかっています。主郭部の北には大型の宅地割りが並んでおり、ここに筒井家の重臣が住んでいたものと思われます。また、南には八幡神社を中核とする農村部分(境内)を、そのまま惣構えの中に取り込んでいます。このほか、吉野街道と奈良街道が交わる部分には、奈良街道を挟む形で南北にそれぞれ市場(商店街)がありました。 筒井城が文献に初めて現れるのは15世紀初頭のことですが、発掘調査により、14世紀中ごろにはすでに主郭を取り囲む幅約6m、深さ約2mもの大規模な堀(内堀)があったことがわかっています。 一方、筒井氏の祖とされるのは筒井順覚で、至徳3年(1386)の文献にその名が記されています。しかし、それを遡る康永2年(1343)の文献にも、筒井氏と思われる武士2名(順慎・順円)の署名があることが、近年の研究で明らかになりました。すなわち、筒井城と筒井氏は、ともに14世紀中ごろに歴史の表舞台に現れるということになります。 筒井城最後の城主となったのは、筒井順慶(1549-84)です。順慶は苦戦の末、大和に侵攻した松永久秀に打ち勝ち、天正4年(1576)、織田信長によって大和国支配を任じられました。天正8年(1580)、筒井城は織田信長の命によって破却され、筒井氏は居城をここから約3.5km北にある郡山城に移しました。 (説明板より) 【感想】 城としては遺構はありませんが、何となく規模は窺い知れます。主郭部は発掘調査を行った箇所はフェンスに囲まれ保存されているようですが、他は田畑、宅地になり消失しています。 |
登城日 | 2018年5月5日(土) | ||
LINK | 筒井城-Wikipedia- | |||
城主家紋 | 梅 鉢 (藤原姓?/大神姓か?) 筒井氏家紋 |
※説明板より |
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【筒井城の案内指標】 目の前の細い路地に入っていくと城址になります。 |
【虎口跡】 この細い路地が筒井城の虎口跡になります。 |
【虎口跡】 | |
【城址碑】 虎口を出たところにあります。 |
【北市場跡付近】 虎口から出て右側は蓮根畑になっています。 |
【内堀跡付近】 この場所も蓮根畑になっています。 |
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【主郭部跡】 フェンス内が発掘調査を行った場所の様です。 |
【主郭部跡】 | 【主郭部跡】 | |
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【大型宅地群跡付近】 | − | − |