城名 洲本城(別名:三熊城)
住所 〒656-0023
兵庫県洲本市小路谷1272-2
入場時間 洲本市立淡路文化史料館
午前9時〜午後5時(入館は午後4時半まで)
休館日
月曜日(祝日の場合は、火・水が休館)
祝日の翌日、年末年始(12/28〜1/4)
入場料
洲本市立淡路文化史料館
大人400円、高校・大学生:250円、小中学生100円
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 山城、平城
天守構造 連結式(非現存)
(層塔型4重4階、鉄筋コンクリート模擬、昭和3年築)
築城主 安宅治興
築城年 永正7年(1510)または大永6年(1526)
主な改修者 脇坂氏(山城)
蜂須賀氏(平城)
主な城主 安宅氏、仙石氏、脇坂氏、藤堂氏、池田氏、蜂須賀氏
位置 北緯34度20分15.73秒
東経134度54分10.35秒
【沿革】
室町後期、熊野水軍の流れをくむ安宅(あたぎ)氏が、永正7年(1510)(大永6年(1526)との説もあり)大阪湾を望む三熊山(標高133m)に山城を築いたのが始まりとされる。

天正9年(1581)、羽柴秀吉に攻められ、開城。安宅氏没落後、菅平氏・仙石氏・脇坂氏が居城し、脇坂安治のとき城の大改修を行い、現在遺構として残る大部分が築かれたとされる。東西約800mの範囲に総石垣造りの本丸・東の丸・南の丸・西の丸など曲輪を築き、大手門を南側に開き、北奥の最高所に天守を配した。

安治が伊予大洲に移封された後、藤堂高虎、池田輝政が領したとされる。元和元年(1615)、大坂夏の陣で軍功のあった阿波徳島藩主蜂須賀至鎮が淡路一国8万石を加増された。
寛永年間(1624〜44年)に徳島藩の淡路支配の拠点が由良から洲本に移される(由良引(ゆらびけ))と山頂の城(上の城)は廃され、麓に館(下の城)が築かれた。重臣稲田氏を城代とし、以後稲田氏代々の居城となって明治維新を迎える。

山上一帯は三熊山公園として、総石垣の曲輪、幾重にも築かれた登り石垣、堀が現存し、天守台には昭和4年(1929)に模擬天守閣が建てられている(これが国内の一番古い模擬天守である)。
下の城跡には石垣や内堀の一部が残り、洲本市立淡路文化資料館などが建っている。


【感想】
麓の館跡から山上へ、山上に行く途中にいくつかの石垣も見られる。
武者溜りからが本格的な山上の城域となり東の丸は本丸などに比べて公園化していないため昔ながらの雰囲気が楽しめる。
ただ人もあまり来ないようで蜘蛛の巣が至る所に張っているので注意が必要。
また、南の丸下は大手から続いてくるので見ごたえがあり、西の丸には何もないが、その下の石垣は西の曲輪を囲う様に築かれている。
搦手より下りれば途中で西登り石垣を堪能できます。
東登り石垣もありますが道からは見ることが出来ないようです。

100名城
スタンプ
スタンプ
設置場所
洲本市立淡路文化史料館
登城日 2018年10月14日(日)
 LINK 淡路島観光ガイド・あわじナビ-三熊山・洲本城跡-
洲本城-Wikipedia
城主家紋 【三階菱】
(清和源氏小笠原流)
安宅氏家紋
【輪違い】
(藤原氏後裔?)
脇坂氏家紋
【卍】
(清和源氏足利流斯波氏族?)
蜂須賀氏家紋

                      

探訪
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【洲本城(平城)の水堀と石垣】 【洲本城・城址碑】 【洲本城(平城)・大手門跡】
内部には洲本市立淡路文化史料館が建つ
【浜手御門跡】 【洲本城(山城)登城口】 【登城道途中の石垣】
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【東の丸二段曲輪】 【東の丸虎口】 【東の丸虎口石垣】
【東の丸虎口石垣】 【日月の池】 【日月の池】
【日月の井戸】 【城道】 【崩落した本丸下曲輪石垣】
台風被害を受けた石垣
【崩落した本丸下曲輪石垣】
台風被害を受けた石垣
【八王子木戸跡】 【城道】
【本丸下曲輪の石垣】 【南の丸下】 【南の丸下】
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【馬屋(月見台)跡】 【腰曲輪跡】 【大手門跡】
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【本丸石垣】 【天守台】 【天守台】
【天守台からの眺望】 【模擬天守と眺望】 【模擬天守】
【本丸搦手虎口と模擬天守】 【本丸搦手虎口】 【天守台】
【搦手口】 【南の丸の西側曲輪の石垣】 【籾蔵跡】
【南の丸の西側曲輪の石垣】 【西門跡】 【西門跡】
【残念石】 【残念石付近からの眺望】 【模擬天守】
【西の丸跡】 【西の丸跡】 【西の丸石垣
【西ノ丸石垣】 【西の丸下の残念石】 【西の丸石垣】
【搦手】 【本丸石垣】 【搦手途中の曲輪跡】
【搦手途中の曲輪跡】
ここが曲輪跡なのかは不明だが、平場で貞子が出て来るかのような井戸があり、水が沁みだしていた。そしてその奥には西登り石垣があり、間近で見ることが出来る。
【西登り石垣】 【西登り石垣】
【西登り石垣】




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